シリーズ/わが昭和歌謡はドーナツ盤
畏れ多くも「聖心女子学院」の門をくぐったのは、たった一度だけである。キリスト教系の男子高校だったせいか、友人の誰かが「聖心」と縁があったのかも知れない。今でも「この広い野原いっぱい」を耳にするたびに、「聖心」の講堂で開催されたフォークソング大会がよみがえるのである。出演者のほとんどがアマチュアだったと思うが、映画監督黒澤明の息子の黒澤久雄が登場し、森山良子(名前を知らなかった)が「この広い野原いっぱい」を歌ったことは覚えている。寒い冬の日で、会場を後にするとぼたん雪が降りはじめていて道はうっすらと白くなっていた。当時は、まだフォークソングになじめていなかった。ただグループで一緒に出掛けた中に心を寄せていたYがいて、彼女が来るならと、くっ付いて行ったという方が正直だろう。男子校と女子高の正門がそれぞれあって塀で仕切られていた高校で、グループ同士の付き合いがあった。日本でもフォークソングというジャンルがやっと認知され始めていた時代のことで、高校生男女の話題は流行歌のことが多かった。
駅に向かう帰途、森山良子の透き通るような声が耳に残っていて、「あんなキレイな歌、はじめて聴いた」と呟くと、集団の中にいた彼女が、この広い…と口ずさんだのだった。すると数人の女子たちの声があとを追った。皆がすでに知っていたことに驚いたが、彼女らの声が澄み切った冷たい空気によく通っていた。「覚えやすい歌よ、すごく綺麗な詩よ」と彼女は言った。森山良子という歌手が日本のフォークソングの黎明期に登場し、1967年1月2日にリリースされたデビュー曲をナマ歌で聴けたという僥倖を知ったのは、ずっと後のことだった。「聖心」と聞いてときめくのは、何も邪(よこしま)な心ではなく、この日の思い出がよみがえるからである。