23.06.01 update

森山良子のデビュー曲「この広い野原いっぱい」が、日本のフォークがプロテストソングから私的な心象風景に変わっていく大転換の一曲だった

 振り返ってみると、ボクの音楽遍歴はすべて姉の影響だった。小学生では輸入された洋楽系のポップス、中学生でモダン・ジャズをかじり、高校生の半ばからフォークソングと出合う。姉と付き合う男子友達のリードもあったから、姉の音楽の嗜好もコロコロと変わっていったが、ジョーン・バエズやPPM(ピーター・ポール&マリー)のLPを聴かせてくれて、ボクがフォークソングに目覚めたのは確かだった。とはいえ、もともと軟派な高校生だから岡林信康や高石友也といった反戦フォークとは無縁だった。それまでは反戦、社会的な問題提起、権力への反抗などを歌に託したことでフォークソングは若者たちに浸透していったと思う。学生運動の起爆剤にもなったのは言うまでもない。あの頃、大学生たちに交じって、新宿西口の地下広場で、「We Shall Overcom」(勝利を我らに)と大声を張り上げたこともあったが、徒党を組むことが肌に合わなかったのだろう、きっぱりと縁を切ったのも高二の頃だった。ノンポリの軟派な高校生となっていくターニングポイントだった、なんて大袈裟か。ボクはいよいよ女子が好む歌に追随してばかりいた。

 日本でもアコースティックギターとバンジョーの演奏がアメリカン・フォークとして定着しつつある時代で、恋愛や青春の悩みなど個人の心象風景がテーマになっていった。言ってみれば、森山良子と「この広い野原いっぱい」は、日本のフォークソングが反戦の意味を込めた「プロテストソング」から、聴きようによっては女々しいような個人的な私小説的な内容に転換していく先駆けだったといえまいか。1970年代に入ると、吉田拓郎、南こうせつとかぐや姫、井上陽水、中島みゆき、松任谷由実らが次々と登場してくるが、カレッジフォークとも呼ばれた森山良子の存在なくして語れない、後の日本型フォークソングの源流にあると思っている。

 父はジャズ・トランぺッター、母はジャズ・シンガー、母の姉の夫は日系アメリカ人のティーブ・釜萢(かまやつ)で日本にジャズを普及させた第一人者であり、息子のかまやつひろしは従兄。うらやましいような恵まれた音楽環境で育った森山良子はジャズ・シンガーを目指したかったらしい。だが高校生の時、ジョーン・バエズのレコードを知ったことがフォークソングのグループをつくるきっかけになったという。「この広い野原いっぱい」の作詞は、銀座育ちの小薗江圭子(おそのえけいこ 1935ー2011)。童話作家、ぬいぐるみ作家、イラストレーターなどなど様々な才能の持ち主で、たまたま銀座の画廊を訪ねた森山良子の目に留まったスケッチブックに添えられていた小薗江の詩に、わずかの間に曲をつけてしまったというエピソードがある。その楽曲がラジオで流れて評判となり、レコードデビューに至ったという。

 その後、山上路夫作詞、三木たかし作曲による「禁じられた恋」(1969)がミリオンセラーとなり日本レコード大賞大衆賞受賞、NHK紅白歌合戦に初出場する。このことで「フォークから歌謡曲の女王へ」と評されたことがある。あの美しい歌声と楽曲は後に続いたアーチストたちにも多くの影響を与えたことだろう。女優としても活躍したことは言わずもがなである。

 ――広い野原、広い夜空、広い海、いわば大自然のすべてをあなたにあげるから、手紙をください――と歌い上げる、優しい恋の歌は大ヒットしたが、時系列でいえば、「聖心」の舞台で出合ったこの楽曲はリリースされる直前だったかも知れない。聴けば、誰でもやさしい気持ちになれる歌は、そうザラにはない。コンサートがはねた後、Yと二人だけになって雪の道をはじめて手をつないで歩いた夜が忘れられない。当時、この偉大なシンガーソングライターを知っていれば、「森山良子のナマ歌を聴いたぜ」と姉に自慢できただろうに、と悔やまれてならない。

文:村澤 次郎 イラスト:山﨑杉夫

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