「普通の女の子に戻りたい!」と、昭和のアイドルグループの代表〝キャンディーズ〟が電撃的な解散宣言をしたのは、1977年(昭和52)7月17日、日比谷野外音楽堂のコンサートのエンディングだった。事前に事務所の了承もなく、「私たち、9月で解散します」という突然の発表に世間は驚いた。その後事務所との話し合いが行われ解散は延期になったが、78年4月4日、後楽園球場で行われた最後のコンサート「キャンディーズ ファイナル カーニバル」で、4年半の活動にピリオドを打った。コンサートには5万5千人の観客を動員し、4時間にわたり51曲を歌った。最後の曲の「つばさ」で、「本当に、私たちは、幸せでした」と発せられた口上も忘れ難い。
キャンディーズは、渡辺晋・美佐夫妻が築いた昭和のスター王国「渡辺プロ」から、ザ・ピーナッツが引退した後、入れ替わるようにしてスターになった。メンバーの伊藤蘭、田中好子、藤村美樹は、渡辺プロの傘下の養成所、東京音楽学院に通う友人同士だった。バックダンサーの集団「スクールメイツ」から抜擢され、NHK「歌謡グランドショー」のマスコットガール兼アシスタントを担当する。「食べてしまいたいほど可愛いい女の子」を意味して、〝キャンディーズ〟というグループ名が誕生した。1973年9月1日に「あなたに夢中」でデビュー。歌手活動のみならず渡辺プロ制作の「8時だヨ!全員集合」にも毎週出演していた。
同番組は、視聴率50%を超えるお化け番組だったので、名前と顔は知られていたが、新曲を出しても発売時は話題になるものの大きなヒットには至らなかった。当時のマネージャーの諸岡義明は改造に着手し、それまで田中がセンターだったが、伊藤をセンターにすることを社長の渡辺晋に提案。立ち位置が変り、シングル5枚目の「年下の男の子」(75)から、メインボーカルも伊藤が受け持つようになった。伊藤のお姉さんキャラクターが「年下の男の子」のイメージにピッタリで、ヒットチャートにランクインしオリコン9位を獲得した。それからは3カ月おきに新曲を出したが、「内気なあいつ」「その気にさせないで」「ハートのエースが出てこない」「春一番」「夏が来た!」「ハート泥棒」「哀愁のシンフォニー」「やさしい悪魔」とリリースした曲はすべてヒットし、スケジュールは隙間のないほど埋められていった。
年下の同性から見ても、ミニスカートから伸びた足が綺麗で歌って踊れる3人は可愛いいお姉さんたちで、ドリフターズを向こうに回して堂々とコントをする明るいキャラクターも魅力的だった。周りの友人にもキャンディーズが嫌いという人はいなかった。伊藤がセンターになってからは、中学生や小学校の高学年までもファンにしてしまい、ファンクラブの会員数も激増し、親衛隊を結成する者たちもいた。
ちょうど、驚きの解散宣言の頃は、77年6月21にリリースした14枚目のシングル「暑中お見舞い申し上げます」がヒットしている最中だった。これは作詞・喜多條忠、作曲・佐瀬寿一、編曲・馬飼野康二による。二十四節気の小暑7月7日頃から立秋の前日の8月7日頃の間に、「暑中見舞い葉書」を出す習慣がまだ盛んな頃で、郵政省によるくじ付きのはがき「かもめ~る」のCMソングにもなった曲である。