2011年9月5日、生涯の友であるTくんの訃報が届いた。56歳での突然死だった。Tくんは中学二年の二学期に僕のクラスに転校してきた。家も近かったこともあり、すぐに親しくなり、また、彼の弟と僕の妹が同学年だったこともあって、互いの家を行き来した。学校では同じ新聞部に属し、新聞のガリ版刷りを共にし、体育祭の準備を夜までやったりしていた。家ではビージーズやサイモンとガーファンクル、1910フルーツガム・カンパニー、ザ・タイガースやいしだあゆみのレコードを聴いたりした。ザ・フィフス・ディメンション「輝く星座」やゼーガー&エバンス「西暦2525」、ジリオラ・チンクエッティ「雨」などが流れると、その頃がよみがえってくる。休日には海に泳ぎにいったり、ハイキングにも出かけた。井上陽水以前に、アンドレ・カンドレの名前でデビューしリリースした「カンドレ・マンドレ」を教えてくれたのもTくんだった。別々の高校に進学したため、中学卒業までの1年半ほどのつきあいだった。
高校を卒業した頃に一度、彼の実家である長崎市に泊まりにいったことがあるが、大学も別々だったのでその後は音信も途絶えた。だが、40代半ばの頃だっただろうか、中学時代の同窓会の案内によって彼が大阪で宝石関係の仕事をしていることを知った。僕は、東京で雑誌の編集の仕事に就いていた。すぐに電話して、一緒に同窓会に出席することになった。それをきっかけに、交遊が再開した。彼の次男が京都の大学を卒業し、東京藝術大学の大学院に入学する折には、東京で一緒に祝い、次男は僕の家に泊まりにきたりもしていた。これからはのんびりと一緒に旅でもしようと約束を交わした矢先の訃報で、何かキツネにつままれたような気分だった。実感がまるでなかった。実は妹と同学年の彼の弟は、彼より先に亡くなっていた。Tくんの死を妹に知らせたとき、「神様に愛され過ぎた兄弟だったんだね」とつぶやいた妹の言葉が忘れられない。そのとき、カラッポの僕の頭にグレープの「精霊流し」が流れた。
グレープは、さだまさしがソロ活動を始める前に、高校時代に知り合った吉田正美(現・吉田政美)と72年に結成したデュオバンドで、73年に「雪の朝」でレコードデビューしたが8千枚しか売れなかった。「精霊流し」は74年にリリースした2曲目のシングルで、作詞・作曲はさだまさし。さだの母方の従兄が水難事故で無くなったときの精霊流しの風景がモチーフになっている。精霊流しは、長崎などで8月15日に行われるお盆行事で、初盆を迎えた故人の家族たちが盆提灯や造花などで飾られる精霊船に故人の霊を乗せて流し場まで運ぶというもの。