毎週日曜日の午後6時から始まる「レッツゴーヤング」というNHKの音楽バラエティー番組があった。1974年(昭和49)4月、前年に完成したNHKホールを舞台に「ステージ101」の後番組として始まり、1986年3月まで12年間続いた長寿番組だ。「レッツヤン」の略称で親しまれ、当時の小中学生のいる家庭では、視聴率100%ではなかっただろうか。私も毎週楽しみにしていた一人だ。
番組の初期は、鈴木ヒロミツが司会で、フォーリーブスなどがレギュラー、新御三家の西城秀樹、野口五郎、郷ひろみ、日本テレビの「スター誕生!」出身で「花の中三トリオ」の森昌子、桜田淳子、山口百恵ら当時のトップアイドルがゲストで登場し、たちまち人気番組になった。さらに演芸番組「笑点」の「ちびっこ大喜利」から生まれた男性アイドルグループずうとるび(山田隆夫、新井康弘、江藤博俊、今井良樹)や「あなた」で一躍ブレイクした小坂明子もレギュラーとして参加した。
歌うアイドルのバックで踊るスクールメイツのメンバーも、元気いっぱい番組を盛り上げていた。
その後、作曲家の都倉俊一、平尾昌晃、歌手の太川陽介、田原俊彦、松田聖子、石川ひとみなど司会者やレギュラーメンバーも変わりながら、当時の若い世代が求める新しい音楽番組として定着していった。
「絶対気に入ってもらえる歌唱力抜群の二人組がいるんですよ」と、ワーナー・パイオニアのディレクターから作曲家の都倉俊一に紹介されたのが、のちに「狩人」となる加藤久仁彦、高道兄弟だった。二人は都倉も認める実力で、都倉により「狩人」と名付けられ、77年3月25日「あずさ2号」でデビューした。ちなみに、「狩人」は、ヒットを狙いに行って射止めて欲しいという願いを込めたものだという。
77年4月からは「レッツゴーヤング」で都倉が司会をすることになり、アシスタントにキャンディーズ、太川陽介、川﨑麻世、未都由、黒沢浩と「狩人」の二人も加えた男性6人編成のグループ「サンデーズ」がレギュラーとなった。
「レッツゴーヤング」の「ヤングヒットコーナー」で「あずさ2号」が紹介されると、たちまち話題になり、大ヒットとなった。傷心の女心と旅情感を含ませた竜真知子の詞、二人の声質をうまく生かして美しいハーモニーに仕上げた都倉の手腕も大きかったが、当時21歳と17歳と若い二人が、歌の世界をうまく表現していた。私にとっては故郷の長野県を舞台にしてくれたのも嬉しかった。
そして、ブームもつくった。「あずさ号」は若者や新婚旅行で人気となり、赤字路線の多い国鉄の中にあって、数少ない黒字路線となった。しかし、78年のダイヤ改正で、「あずさ2号」は、上り列車となり、この歌の列車はなくなってしまった。このヒットで、狩人はその年の新人賞を総なめにし、NHKの紅白歌合戦にも出場した。
次にリリースされたのが、77年8月25日発売の「コスモス街道」である。デビュー曲と同じで、竜真知子、都倉俊一のコンビだ。舞台は「秋の避暑地」。軽井沢が舞台なのだろうと友人たちと話題になった。軽井沢は小さい頃から遠足やスケート大会で何度も行っているところなので、松本方面へ行く「あずさ2号」よりさらに故郷に近くなり親近感がわいてきた。