大学を入り直して、2度目の新入生になったのは26歳のときだった。かなりとうが立った新入生だが、東京の大学で、しかも文学部なら珍しいことでもないだろうと思っていた。想像していた通り、同じクラスには、いろんな経験を積んだようなふてぶてしい、いい面構えのヤツや、アングラ芝居や学生運動に打ち込んで何度も留年を繰り返しているのではないかと思えるような面相のヤツもいた。ところが、彼らは僕よりもかなり年下だった。驚いたのは、入会したサークルのどの先輩よりも僕は年長だった。童顔であり、年齢を訊かれることもなかったので、あえて26歳だとは言わなかった。ただ、入学後親しくなった4人の友人たちには、年齢の話になったとき実年齢を告げた。多少は驚いたようだったが、〝オレ〟〝オマエ〟という呼び方は変わらなかった。現在でも、その関係は続いている。
その中の1人で、入学後初めて声をかけてきたのがHだった。ミュージシャンぽい感じの長髪で、絶対にサラリーマンにはなりそうもない雰囲気のヤツだった。実際、彼は音楽サークルに所属し、ギターを持って大学に現れ、授業よりも音楽に〝青春〟をそそいでいたようだ。ときには、下駄で大学にくるときもあった。「オマエは中村雅俊かっ」(ドラマ「俺たちの旅」のカースケのイメージ)と心の中で突っ込みを入れた。彼のサークルのメンバーが集まるラウンジにも連れていかれ彼の先輩たちにも紹介され、すぐに親しくなった。後に、その先輩のおひとりが、「コモレバ倶楽部」の会員になっていたのには驚いた。ドーナツ盤シリーズも読んでいただいているようだ。
ある日、Hからテレビのモノマネ番組のオーディションにつき合ってくれと頼まれ、赤坂のTBSについて行くことになった。誰のモノマネをするかは、容易に想像できた。Hは、ふんいきがどことなく松山千春に似ていると評判で、声も似ていた。そのオーディションで歌ったのが、「長い夜」だった。「うまい、これはいける」と思った。残念ながら、1位ではなかったが、特別に、埼玉県の市民会館で中継される番組に出演できることになった。番組関係者から見ても、ここで切り捨てるにはもったいないと思わせるくらい似ていたのだろう。ヒット街道を突っ走ていた「長い夜」を歌うH自身にも魅力があったのだと思う。優勝は逃したが、応援に行った僕ら仲間たちは大いに盛り上がった。Hは在学時代から、オリジナル曲を引っ提げてライブハウスや野外ステージなどでコンサートを開き、卒業後は予想通りミュージシャンの道に入った。
「長い夜」は、1981年4月21日に、松山千春10枚目のシングルとしてリリースされた。78年の「季節の中で」以来となるオリコン・シングルチャートで1位を獲得し、年間チャートでも5位という、松山千春にとって最大のヒット曲となった。「季節の中で」は、山口百恵・三浦友和共演のグリコアーモンドチョコレートのCMソングに起用され、多くの人々に親しまれた。さらに79年春、第51回選抜高等学校野球大会の入場行進曲にも選ばれ、松山千春初となるオリコン・シングルチャート1位を獲得した。松山千春は一気にスターダムを駆け上がることになった。