シリーズ/わが昭和歌謡はドーナツ盤
サーフ・サウンドの元祖と言われ、日本のポップスやロックに多大な影響を与えたインストゥルメンタル・ロック・バンド、ザ・ベンチャーズ。アンプのリヴァーブをフルにし低音弦をスライドさせてトレモロ・ピッキングを行う〝トレモロ・グリスダウン〟(いわゆるテケテケ)のテクニックによる、「ダイアモンド・ヘッド」「10番街の殺人」「パイプライン」などの名演で知られる。寺内タケシや加山雄三ら、日本のミュージシャンともたびたび共演し、1991年にはNHK紅白歌合戦にも出場している。
そして、60年代後半から70年代にかけて、日本の歌謡曲の世界で、〝ベンチャーズ歌謡〟という大ブームを巻き起こした。〝ベンチャーズ歌謡〟のプロデュースをした東芝音楽工業の草野浩二氏によると、来日時に日本の歌謡曲を聴いて研究し、「こんなメロディを作った」と売り込んできたという。そのメロディ・ラインは、「外国人が作ったとは思えないような日本人好みの歌謡曲だった」と言う。
それは「GINZA NIGHT」というタイトルで東芝の所属であった越路吹雪のために、銀座の夜景をイメージして作られた曲だった。ところが、「もっと若い人が歌ったほうがいい」という越路の提案で、当時、日活の青春スターだった和泉雅子と山内賢のデュエット曲「二人の銀座」として66年にリリースされることになった。軽快なエレキサウンドと、爽やかな歌声で、100万枚を超える大ヒット曲となり、2人の主演で映画化もされた。映画には当時ブームのGSから、ブルーコメッツやヴィレッジ・シンガーズも出演しており、「ブルー・シャトウ」や「青い瞳」などが挿入歌として紹介されていた。〝ベンチャーズ歌謡〟の記念すべき1作目の誕生だった。作詞を手がけたのは永六輔である。翌67年には続編ともいえる「東京ナイト」がリリースされヒットし、やはり映画化もされている。
その後、67年に奥村チヨ「北国の青い空」、70年には渚ゆう子「京都の恋」「京都慕情」、71年には渚ゆう子「長崎慕情」、欧陽菲菲「雨の御堂筋」、72年には牧葉ユミ「回転木馬」などが立て続けにリリースされ、ヒット曲となった。「京都の恋」により、〝ベンチャーズ歌謡〟は日本レコード大賞企画賞を受賞した。菅原洋一の「今日でお別れ」がレコード大賞を受賞した年である。ちなみにこの曲はアメリカでは「EXPO‘70(Kyoto Doll)」というタイトルで発表されている。