82年リリースの竹内まりやの作詞・作曲、清水信之編曲の「けんかをやめて」では、河合の歌の世界を拡げた。思春期の揺れる乙女心を描いた曲だが、清純な河合が歌うからこそ嫌みがない。オリコンチャート5位を獲得。そして翌年、アップテンポの曲「エスカレーション」(作詞・売野雅勇、作曲・筒美京平、編曲・大村雅朗)は、高倉健主演の映画『居酒屋兆治』の挿入歌にも使われた。86年には、自ら作曲した壮大なバラード「ハーフムーン・セレナーデ」をピアノの弾き語りで歌い上げ、シンガーとしての才能を開花させた。この曲で、第37回紅白歌合戦に6年連続6回目の出場を果たしたが、これが最後の紅白出場になった。「ハーフムーン・セレナーデ」は、87年に香港の人気歌手がカバーし香港ではスタンダード・ナンバーとして歌い継がれているという。さらに、88年8月にはあのジャッキー・チェンとのデュエット曲「愛のセレナーデ」をリリースしているのだ。この曲も河合の作曲だ。
歌手活動の他にも、84年7月からは、ラジオ番組「MBSヤングタウン」(ヤンタン)でのメインパーソナリティや、テレビドラマ「さすらい刑事旅情編Ⅳ」「ママじゃないってば」などで女優としても活躍しているが、95年に全国ツアーを開催後、翌年結婚し、芸能活動を停止している。潔い身の引き方がまた河合らしいとも言える。
今回、7回忌が近くなった西城秀樹を思い出しながら、秀樹の〝妹〟としてデビューした河合奈保子のドーナツ盤を聴き直し、彼女の音楽性の高さに改めて気がついた。アレンジャーの船山基紀は、譜面を初見でレコーディングできるほど才能があったと河合を評価している。その後自分で作曲し、シンガーソングライター寄りのポジションに移行していったのもうなずける。
河合がアイドル歌手として全盛期の頃、親衛隊たちははがきを書いてリクエストを出し、月4、5回は応援コールの練習をしていた。その出席率、ひたむきさなどで親衛隊の幹部になった男性の一人が就職を機に親衛隊を引退することになると、最後のコンサートではプロデューサーから楽屋に呼ばれた。そして「今までありがとうございました。お疲れさまでした」と河合が自ら色紙をプレゼントしたというエピソードがある。彼は、そのことがその後仕事をしていく上で大きなエネルギーになったと語っている。河合の優しさ、思いやりのある人柄が伝わってくる。
河合はスキャンダルのないアイドルだった。それが反対に同時代のアイドルに比べ影が薄いように映ったのかもしれない。俗世の浮き沈みにも右往左往せず、男性のみならず女性にも愛された永遠のアイドル河合奈保子。グループアイドルが全盛の時代の現在にはない〝独りアイドル〟としての輝きがあった。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫