シリーズ/わが昭和歌謡はドーナツ盤
CMやバラエティ番組、テレビドラマなどで、唯一無二とも言えるコメディエンヌとしての才能を開花させ、お茶の間の人気者となった研ナオコのデビューは、1971年に東宝レコード第1号歌手としてリリースした「大都会のやさぐれ女」だった。その後も「京都の女の子」などの曲で、テレビの歌謡番組などには、出演していたが、歌手としての大きなヒットにはつながらなかった。
一方では、キンキンこと愛川欽也と組んだミノルタカメラのテレビCMでの、最近ミノルタのカメラに凝っているというキンキンが研ナオコに向かって「でも美人しか撮らない、だからシャッターを押さない」と言い放ち、研ナオコが大口を開けて笑うという自虐的な内容が人気になり、「カックラキン大放送!!」や、ザ・ドリフターズの志村けんと絡んだコントなどでは人気を博していた。テレビCMといえば、殺虫剤キンチョールの「トンデレラ、シンデレラ」も流行語になるほど話題を呼んだ。
また、銭湯・松の湯を舞台にしたTBS系の大ヒットホームドラマ「時間ですよ」の73年のシリーズでの、松の湯の主人(船越英二)の飲み仲間である由利徹の娘で、松の湯の従業員浜さん(悠木千帆、後に樹木希林)に何かと喧嘩をふっかける不良少女役をはじめ、京塚昌子と佐良直美が母娘を演じた、やはりTBS系の「ありがとう」第4シリーズや、橋田壽賀子脚本の「ほんとうに」などの石井ふく子プロデュース作品などで、女優としても活躍を始める。
特に主人公・桃井かおりの親友役を演じた日本テレビ系の「ちょっとマイウェイ」は、どちらかと言えば、桃井かおりに振り回されるやさしい、気の弱い役で、桃井との名コンビぶりが今でも思い出される。そういえば、70年代当時の日本テレビ系のドラマには、若い世代をも惹きつけるどこかサブカル的な魅力があったように思われる。浅丘ルリ子、大原麗子、緒形拳、原田芳雄はじめ主役級の俳優たちが顔をそろえた「さよなら・今日は」、同じく浅丘ルリ子主演で、長いタイトルが話題になりヒットした「二丁目の未亡人は、やせダンプといわれた凄い子連れママ」、ショーケン(萩原健一)と水谷豊がバディを組んだ「傷だらけの天使」、松田優作主演の「探偵物語」などなど。今一度、観てみたいドラマがたくさんあった。
さて、そんな研ナオコに歌手としての転機が訪れるのは75年のこと。キャニオン・レコードに移籍し、リリースしたのが阿木燿子作詞、宇崎竜童作曲の「愚図」だった。当時、研ナオコの所属事務所の社長で、ザ・スパイダースのリーダーでもあった田邊昭知は、宇崎に「研ナオコを男にしてやってくれ」と頼んだという、奇妙なエピソードが残っている。「愚図」で、研ナオコは自身初となるオリコンシングルチャートベスト10入り(週間最高9位)を果たし、FNS歌謡祭優秀歌謡音楽賞を受賞した。まさに研ナオコの〝女を上げた〟一曲であった。