1963年(昭和38)6月、詰襟の学生服姿で日本コロムビアから「高校三年生」でデビューした舟木一夫が、またたくまにアイドルの座に就くや、各レコード会社は、舟木に追いつけ、追い越せとばかりに十代の男の子たちを立て続けにデビューさせた。そして同年10月に日本ビクターから「美しい十代」でデビューしたのが三田明だった。十代の美しさ、爽やかさに加え、昔の美男子にはなかった可愛らしさがプラスされていると、写真家の秋山庄太郎は、〝日本一の美少年〟と三田明を絶賛した。美を切り取る写真家のお墨付きだけに、説得力があった。ちなみに、橋幸夫、舟木一夫と共に後に〝御三家〟と呼ばれるようになる西郷輝彦のデビューは、翌64年のことである。その御三家+三田明で昭和歌謡アイドル四天王なる称号がついた。三田明には、それほど、無視できない御三家に劣らぬ魅力があったということだろう。
芸能雑誌の月刊「平凡」と並ぶ人気月刊誌で〝若い人ならみんな読んでるスター雑誌〟と謳った「明星」の表紙は、一部、鶴田浩二や佐田啓二が登場したこともあるが、52年の創刊号以来その時代の人気女優たちが飾っていた。ただ、62年の12月号の表紙は、結婚記念号として美空ひばりと小林旭が一緒に登場している。男性スターたちがレギュラーとして女性スターとペアで表紙を飾るようになったのは、64年5月号の三田明が最初である。お相手はいしだあゆみだった。三田よりデビューが早い舟木が表紙に登場したのは、翌6月号だった。三田明のほうが早かった。映画界の斜陽化にともないテレビの時代になってきたということもあるが、美少年・三田明の登場によって、雑誌の編集方針が変わったとも見受けられるのだ。
四天王が表紙に登場した64年から最後の登場となる68年まで、四天王が表紙に登場した回数を数えてみると、西郷が11回、三田が10回、舟木が9回、橋が5回だった。66年には、舟木、西郷、三田は、それぞれ3回ずつ登場している。まさに芸能界は四天王の時代だったとも言えるだろう。それまで、スターと言えば映画スターであり、赤木圭一郎、石原裕次郎、小林旭、大川橋蔵、中村錦之助(後に萬屋錦之介)、市川雷蔵などの男性スター俳優が、雑誌のグラビアなどを飾る機会が多かったが、この時代、世の女性たちの心を捉えたのは、テレビが生んだ現代的で爽やかな同世代の若手男性歌手たちだったのだ。
ペアを組んだ女性アイドルは、吉永小百合を筆頭に、本間千代子、姿美千子、高田美和、和泉雅子、恵とも子、いしだあゆみ、園まり、由美かおるたちだった。また、64年3月号の「明星」の新聞広告には、〝舟木一夫 三田明があいました〟のキャッチで、舟木と三田が肩を組んだ写真が掲載されていた。