当時21歳の石井明美は歌手志望ではなかった。美容師になりたくて、高校在学中に通信教育で資格をとり、卒業後銀座の美容室で働き始めた。美容師の数も多くシャンプーばかりの毎日に飽き足らず、すべての業務に携われる小規模な美容院に移ろうと転職活動をしている間、友人から紹介された六本木のスナックでアルバイトを始める。そこは芸能関係者も出入りする店で、接客が苦手だった石井は歌うことで逃げていたのだが、それがスカウトされるきっかけになった。声をかけた芸能事務所が「研音」だった。今や「研音」は、唐沢寿明、山口智子、反町隆史、独立した竹野内豊ら人気俳優を抱える芸能事務所。創業者の野崎俊夫は競艇専門紙の「研究出版」に1973年(昭和48)音楽事業部を設立。研ナオコがデビューし浅野ゆう子をアイドル歌手としてデビューさせ、「メモリーグラス」の堀江淳や中森明菜を大スターに育てたのも野崎だった。
事務所に「男女7人夏物語」のテーマ曲の話が入った。事務所にいた中森明菜は85年には「ミ・アモーレ」、翌年は「DESIRE─情熱」で日本レコード大賞「大賞」を受賞するという、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いがあった頃である。
いくら明石家さんまが人気者だったとはいえ、お笑い芸人が主役のドラマは未知数だ。主題歌を中森明菜に歌わせることを事務所も躊躇し、石井に白羽の矢が立ったという。けれども新人の曲など売れるはずがないというレコード会社の意向でリリースを断られ、やっと決まったのがCBSソニーだった。残念ながらレコードの発売はドラマの開始に間に合わなかった。
ふたを開ければ、「CHA-CHA-CHA」は80万枚を売り上げ、オリコン年間シングルチャート1位に輝き、日本ゴールドディスク大賞、日本レコード大賞新人賞などを受賞。翌年には春の選抜高等学校野球大会の入場行進にも採用されたのである。結婚を機に芸能界を引退したが、97年火曜サスペンス劇場のテーマ曲「バラード」で歌手活動を再開した。現在も地方都市などでコンサートを行っている。
「男女7人夏物語」をはじめ、鎌田敏夫脚本のドラマをよく観ていたことが懐かしい。「飛び出せ!青春」(72~73)、「俺たちの旅」(75~76)などの「俺たちシリーズ」、「太陽にほえろ!」(73~76)、「傷だらけの天使」(74)、「金曜日の妻たちへ」(83)、「ニューヨーク恋物語1-2」(88~90)、「過ぎし日のセレナーデ」(89)、「29歳のクリスマス」(94)……、数えきれない。それぞれのドラマには心に残る名セリフがあった。
あとでわかったが、先述した「男女7人夏物語」の良介と桃子の会話なども、脚本家が書いたセリフのままだった。鎌田はテニオハまで違わず、まるでアドリブのように喋った大竹に脱帽したと語っている。はまり役だったと思うキャスティングも脚本家が考え抜いたもので、一人ひとりの登場人物から無意識に出てくるセリフがダイレクトに視聴者に伝わるのだろう。主題歌「CHA-CHA-CHA」の一緒に踊り出したくなるような軽快なノリが、ドラマの一部になって視聴率のアップに繋がったことは間違いない。30年以上前に観たドラマの再放送も、懐かしさのなかに新しい発見があって楽しめるものである。
文=黒澤百々子 イラスト=山﨑杉夫