シリーズ/わが昭和歌謡はドーナツ盤
タタタ/タタタタ/タタタタタタタタ……、と16分音符の印象的な繰り返しのイントロで始まる1979年にジュディ・オングがリリースした「魅せられて」。下着メーカー、ワコールの「フロントホックブラ」のコマーシャルソングとしてスタートしたこの曲は、大ヒットを記録し、当時を知らない若い世代にも歌い継がれ、語り継がれている昭和歌謡ポップスの名曲となっている。
ジュディ・オングは、台湾出身で、子役時代から映画やテレビドラマに出演し、十代の頃に出演した映画『涙くんさよなら』、65年から67年まで放送され、佐野周二、沢村貞子、長岡輝子、伊丹十三(当時は一三)、伊東ゆかりらが出演したNHKの大家族ドラマ「あしたの家族」、石坂洋次郎原作でいずれも松原智恵子の妹役だった「あいつと私」「ある日わたしは」、布施明、石立鉄男、竹脇無我、伊東ゆかり、森繁久彌らの出演で、向田邦子も脚本に参加していた「S・Hは恋のイニシァル」などのテレビドラマに出演していたのは、今でもしっかりと思い出される。
また、松山英太郎、関口宏、竹脇無我、由美かおる、大原麗子、小川知子ら若手俳優たちが交互に司会を務めていた若者向けの情報番組「ヤング720」でも、67年には司会メンバーに名を連ねている。放送時間が、登校時間前の7時20分から8時までで、最後まで見ていると遅刻ギリギリセーフという感じだったが、若者にとっては音楽、ファッションなど時代を先取りした都会的な情報番組で、見逃せなかった。音楽的には、グループサウンズが台頭してきてGS時代に突入した頃だった。ジュディ・オングは、僕の小学校高学年から、中学時代にかけてのテレビの記憶に確かに存在しているタレントであった。才気煥発な〝お姉さん〟という印象を当時から受けていた。
一方、歌手としても66年には日本コロムビアからデビューシングルをリリースしており、67年にリリースした4枚目のシングル「たそがれの赤い月」は、記憶に残っている。作曲は舟木一夫の「絶唱」や、都はるみの「好きになった人」「涙の連絡船」などで知られる市川昭介で、ジュディもその時期、市川門下の一人だった。
73年には、CBS・ソニーに移籍し、75年、移籍後3枚目のシングルとなる「愛は生命」が、市原悦子主演のTBSの昼ドラマ「赤い殺意」の主題歌となり、ドラマ同様主題歌もヒットした。そして、79年、「魅せられて」との運命的な出合いが待っていた。
前述したように、「魅せられて」は、ワコールのCMソングとして制作され、副題は「エーゲ海のテーマ」となっている。歌詞にもエーゲ海(Aegean)が登場する。作詞は阿木燿子、作・編曲は筒美京平が手がけた。この曲がジュディ・オングの曲として認識されるにいたる、あるエピソードがある。CM制作の代理店側の、無名の人に歌わせたいとの要望に、ジュディに歌わせたかったソニーのディレクターである酒井政利は「名前を出さなきゃいいじゃないか」と、覆面歌手扱いにしたのだ。ところが、CMが流れると、誰が歌っているのかとレコード店に客が殺到した。その声はソニーにも届き、制作代理店の了解も得て、ジュディ・オングの名前が解禁になったのだ。南沙織、キャンディーズ、山口百恵らをアイドルに育て上げた酒井政利のプロデューサーとしての手腕に、改めて非凡なるものを感じさせられるエピソードである。ちなみに、やはり79年にCMソングとしてリリースされた、「シルクロードのテーマ」という副題がついた久保田早紀の「異邦人」も、酒井政利のプロデュースによるものである。
ジュディ・オングは、「魅せられて」をテレビで歌唱するときには、両手を広げると裾から手首まで袖が扇状に拡がる白いドレスを着用した。エーゲ海の画像を映し出すスクリーン・ドレスとしてデザインされたものだった。このドレスは、その後、手首に芯を取り付け、鳥の翼のようにさらに大きな拡がりをみせるものにバージョン・アップし、視聴者を大いに喜ばせた。2021年、2日間にわたり29組の歌手やアーティストが参加し東京国際フォーラムで開催された「~筒美京平 オフィシャル・トリビュート・プロジェクト~ザ・ヒット・ソング・メーカー 筒美京平の世界 in コンサート」で、ジュディ・オングが歌うのを生で初めて観たが、イントロが始まると同時に胸が高鳴り、ジュディが翼を拡げたときに感動はクライマックスに達し、どこか神々しささえ感じさせられた。「ありがたや、ありがたや」と手を合わせ拝むおじいさんや、おばあさんがいるかもしれないと本気で想像した。筒美京平の偉業に思いはいたり、目頭が熱くなったことが、思い出される。