数あるヒット曲の中でも、僕にとってザ・ピーナッツのこの一曲を挙げるなら67年にリリースされた「恋のフーガ」だ。同年の紅白歌合戦でも歌唱している。作詞をなかにし礼、作曲をすぎやまこういち、編曲を宮川泰が手がけている。編曲を手がけた宮川泰は、ザ・ピーナッツの育ての親とも言われる存在で、編曲のみを手がけた作品も多い。「恋のバカンス」では、日本レコード大賞の編曲賞を、「ウナ・セラ・ディ東京」では同じく作曲賞を受賞している。69年と72年の紅白歌合戦では、ピーナッツの歌唱の指揮を担当した。
「恋のフーガ」はイントロのティンパニの連打の切れの良さと、流麗なストリングスの美しさ、ピーナッツのダイナミックな歌声により、失恋の悲しい歌詞の世界を極限にまで昇華させている。声の伸びといい、ハモリの技術といい、しなやかでパンチがきいた歌声は、ザ・ピーナッツの歌声の完成度極まれりという印象だった。「パヤ、パヤパヤ」の歌詞にメロディがしっかりと勝負し、ダイナミックな編曲により、スケールの大きな楽曲にしあがっている。ピーナッツの振りと衣装も見事にシンクロしていた。
ザ・ピーナッツの活動期間は約16年。引退時にはテレビの歌謡番組でも「サヨナラ」企画として引退記念特集が組まれ、多くの歌手仲間たちが引退を惜しんだ。引退後の75年6月4日に、エミは沢田研二と結婚したが、87年に離婚している。残念ながらエミもユミもすでに泉下に眠っている。ちあきなおみや都はるみ、中森明菜などと共に、今一度歌を聴きたい歌手として名前が挙がるザ・ピーナッツ。ザ・ピーナッツが最後に出場した紅白歌合戦で歌ったのは、41年にアメリカのアンドリュー・シスターズが発表した「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」だった。そのステージを観たとき、ザ・ピーナッツだからできる選曲だったと、ラストソングにふさわしいパフォーマンスだと感じた覚えがある。僕はまだ、ザ・ピーナッツ以上に質の高いデュオに出会っていない。
文=渋村 徹 イラスト=山﨑 杉夫