当時高校1年の僕にとっての音楽は洋楽が中心だった。中学生時代から、洋楽を聴きはじめ、サイモン&ガーファンクル、カーペンターズ、シカゴ、ディープ・パープル、クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル、B.J.トーマスなどなど、レコードも洋楽のアルバムばかり買っていた。カッコつけたい年ごろだったのだろう。ただ、そんな僕でも、ここに紹介した歌謡曲は、全部知っている。というより歌える。「手紙」が、どうして高校生の僕の心に響いたのかは、よくわからないが、編曲も担当した川口真のイントロは印象的だった。
由紀さおりといえば、ほとんどスキャットだけで綴られるインパクトの強さから、「夜明けのスキャット」ばかりが引き合いに出されるが、大人の女の心情をさらりと歌った大人好みのいい曲がたくさんある。「生きがい」「初恋の丘」、吉田拓郎作曲の「ルーム・ライト」、昭和48年日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞した「恋文」、「挽歌」「う・ふ・ふ」「トーキョー・バビロン」など、メロディがすぐに浮かんでくる。
「夜明けのスキャット」での初出場以来、由紀さおりは紅白に通算13回出場している。さらには、姉・安田祥子とのユニットでも10回の出場を数える。ひと頃、ユニットでの活動をメインにしていた時期があって、童謡を中心に、〝ダバダバダ、ダバダバダ……〟と早口言葉のようなスキャットだけで見事に歌いきる「トルコ行進曲」などのクラシック曲も歌って姉妹ですばらしいハーモニーを披露していたが、歌謡曲ナンバーを歌ってくれないかな、と「手紙」が好きだった僕には少々不満だった。
由紀さおりのヒット曲だけに限らず、歌謡曲ファンにとって、昭和40年代は名曲が量産された、人々の生活に寄り添う流行歌の時代であったな、とつくづく実感している。
文=渋村徹