この回では、もう1人、泣いて歌えなかった歌手がいる。「夜のヒットスタジオ」が、〝泣きの夜ヒット〟と異名をとるきっかけとなったのは、まさにこの回の放送であろう。番組の名物企画としてコンピューターによる恋人選びという人気コーナーがあった。この日は、いしだあゆみの恋人選びである。コンピューターに打ち込む最後の質問のあたりから、いしだあゆみの様子がおかしかった。どこかそわそわして落ち着きがなく、緊張のせいか、目が虚ろである。すぐにでも結婚すべきと、コンピューターが選んだ相手は、当日出演していた森進一。「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌い出すが、声が上ずってふるえる。そしてついに号泣してしまう。小川知子が寄り添って、一緒に歌っていた。森進一は所在なく、ハンカチを渡すしかない。また、同年の1月27日放送では、中村晃子がこのコーナーのゲストだった。中村晃子は、司会の前田武彦が理想の男性と言っていたが、コンピューターがはじき出した相手は、果たして前田武彦だった。ミリタリーファッションの中村晃子は「涙の森の物語」を歌い始めるが、もうダメ。涙で歌にならない。司会の前田武彦もバツが悪そうだった。
女優として活躍していた小川知子が、「ゆうべの秘密」で東芝から歌手デビューしたのは68年だった。東芝は、黛ジュン、奥村チヨと一緒に〝東芝3人娘〟として売り出した。「ゆうべの秘密」は、いきなりオリコンで1位を獲得するヒットとなり、同年のNHK紅白歌合戦に初出場を果たした。ちなみに、同年の初出場組には、ピンキーとキラース、「虹色の湖」の中村晃子、森進一、美川憲一、千昌夫、「ラブユー東京」の黒沢明とロスプリモス、「小樽のひとよ」の鶴岡雅義と東京ロマンチカがいる。この年はムード歌謡の年でもあった。「初恋のひと」は、デビューの翌年、69年に4枚目のシングルとしてリリースされた。伊東ゆかりの「小指の想い出」や、南沙織の「17才」で知られる有馬三恵子の作詞が、みずみずしい。紅白でも披露している。紅白には連続3回出場しているが、3回目の出場で歌ったのは「思いがけない別れ」だった。
そのほかにも「銀色の雨」「別れてよかった」などのヒット曲があるが、話題になったのは、谷村新司とデュエットした84年の「忘れていいの-愛の幕切れ-」である。これも「夜のヒットスタジオ」で披露した際に、谷村が小川の胸元に手をすべりこませたことが、大きな話題を呼んだ。「夜のヒットスタジオ」には第1回から出場している小川知子。どうやら、〝夜ヒット〟との縁が深いようである。
70年代は、再び女優として映画やテレビドラマで活躍するが、83年のドラマ「金曜日の妻たちへ」の小川知子の美しかったこと。古谷一行をめぐるいしだあゆみとの対峙シーンは迫力があった。85年の『金曜日の妻たちへⅢ 恋におちて』でも、小川、いしだ、古谷は揃って出演。主題歌と共に、ドラマもヒットした。そのほか、フランス人女優クローディヌ・オージェ、二谷英明、三浦友和共演で、73年に日本テレビ開局20周年記念の日本=フランス合作ドラマ「恋人たちの鎮魂歌」の主役、鶴田浩二、小川真由美共演の74年「霧の影」、島田陽子共演の75年「君の歌が聞きたい」、仁科明子(現・亜希子)と姉妹を演じた76年「その人は今」、平岩弓枝作、石井ふく子プロデュース、山村聰、京塚昌子、香川京子、草刈正雄、大竹しのぶらオールスターキャストの趣の一年間の連続ドラマでヒロインとも呼べる主人公一家の三女を演じた「家族」(77年)、池内淳子、大原麗子、杉村春子、佐久間良子ら豪華絢爛の女優たちが顔をそろえた「女たちの忠臣蔵」(79年)など、女優としてのしっとりとした美しさが、まさに花開いた時期だった。
歌手としての小川知子は、女優の顔とはまた違う、時代を牽引するようなアクティブな女性に映った。最先端のトップモードを着こなすファッションリーダーとしての評価も高かった。最大のヒット曲「ゆうべの秘密」もさることながら、「初恋のひと」こそ、僕の小川知子だった。
文=渋村 徹