新橋発熱海行きの「蜜月列車」
昭和に入ると、ようやく新婚旅行が庶民のあいだでも行われてゆく。
廣澤榮『黒髪と化粧の昭和史』(岩波書店、一九九三年) によると、昭和に入って、挙式を終えた花嫁花婿が新婚旅行に出かける習慣が広まったとある。
「旅先は、まず手近なところで、東京だと大森海岸の宿に一泊、関西だと有馬温泉ぐらいのところだったのが、箱根、湯河原、熱海まで足をのばすようになるのは一九三二(昭和七)年ごろから」
当時、新橋発の午後九時〇四分発下り八四一号、熱海行き列車は、新婚夫婦が多く「蜜月列車」と呼ばれたという。
昭和十一年(一九三六) には「花嫁行進曲」という歌(高橋掬太郎作詞、江口夜詩作曲)も作られている。
「髪は文金高島田 おもいうちかけ 角隠し 私しゃ花嫁 器量よし」
と一番にあり、二番はこう続いている。
「夢を見るよな 新婚旅行 愛のホテルの 第一夜 物が云えない 差向い」
まだこの時代、花嫁も花婿もういういしい。二番の「新婚旅行」は「ふたりたび」と読む。古風な感じがあっていい。
新婚旅行は列車に乗って
昭和に入って普及した新婚旅行だが、やがて日中戦争、太平洋戦争と続く戦争の時代には、庶民が新婚旅行をしている余裕はなくなる。
戦争が終ってもしばらくは混乱期が続く。ようやく新婚旅行が復活してゆくのは、昭和三十年代に入って、世の中が落着いてからだろう。
昭和三十一年に公開された映画、岸田國士原作、水木洋子脚本、成瀬巳喜男監督の『驟雨』には、新婚旅行をめぐる愉快なエピソードがある。
若い香川京子が結婚する。新婚旅行に出かけるが、予定を切り上げて一人で東京に帰ってくる。郊外に住む伯母、原節子の家を訪ね新婚旅行で夫にひどい目にあったと、怒って話し出す。
夫(映画には登場しない)は、列車に乗るや口を開けて寝てしまった。もともと平気で人前であくびをするような行儀の悪い男だった。宿に着くと、新婦にはよそよそしく、「女中」になれなれしくする。
旅行中の出来事をぷんぷん怒って話す香川京子が可愛いく、本人は怒っているのに、観客はかえって笑ってしまう。
いちばん可笑しいのは、「蒲郡(がまごおり)がどこにあるか知っているか、日本地図を描いてみろ」と夫に言われて地図を描くと、「キュウリみたいだ」と馬鹿にされた、と怒るところ。
新婚旅行が最初の夫婦喧嘩の場になったのだが、こんな他愛ないことで言い合いをしているのだから、この二人はすぐに仲のいい暮しを始めることだろう。
昭和三十年代、東京駅からは熱海をはじめ伊豆方面に新婚旅行に出かける若い夫婦が増えた。小津安二郎監督の昭和三十三年の作品『彼岸花』では、東京駅の二人の駅員が、ホームで新婚夫婦を見ながら、のんきに「今日のなかではどの花嫁がよかったか」と花嫁の”品定め” をしている。現代なら問題になりそうな場面だが、この時代、新婚旅行の客が増えていっていることは分かる。
さらに、昭和三十六年公開の映画、松本清張原作、石井輝男監督の『黄色い風土』では、冒頭、週刊誌記者の鶴田浩二が東京駅から、熱海方向に向かう列車の二等車(現在のグリーン車) に乗ると、新婚ばかりなので、なるほどこれがいま評判の「新婚列車」かと驚く。
高度経済成長のただなか、熱海や伊東への新婚旅行が盛んだった頃。海外への新婚旅行が普通になった現代ではもうこんな「新婚列車」は見られないだろう。
JASRAC出 1806018-801
かわもとさぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5冊) 『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞) 『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き」『成瀬巳喜男映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあり』『日本すみずみ紀行』『東京杼情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はっらいよ」を旅する』『老いの荷風』『映画の中にある如く』など多数の著書がある。