土曜日、学校をひけた子供が10円玉を握りしめて映画館へ急ぐ。仕事帰りに恋人同士が待ち合わせてカップルで映画を見る。晩ごはんを早終いして、家族そろって映画館に出かける。昭和の人々なら、いずれも体験した懐かしいスケッチだろう。映画館は、幼き日の自分自身や、恋人同士、親子や夫婦の数々の物語を作ってくれた夢の箱だ。町から「近所の映画館」が消えた今でも、映画館は思い出のシーンの大切な場所として昭和の人々の心のなかで生きている。
映画が輝いていた頃
昭和の町の大事な場所、映画館
文=川本三郎
昭和の風景 昭和の町 2010年1月25日号より
庶民の日常に溶け込んでいた映画という娯楽
昭和二、三十年代は盛り場でもない町にも映画館があり、町の人々に日常的に親しまれていた。
成瀬巳喜男監督のホームドラマの傑作『おかあさん』(昭和二十七年)には、娘の香川京子が、遊びに来た叔母さんの中北千枝子に近所の映画館に連れて行ってもらい、二人でメロドラマに大泣きする微笑ましい場面がある。御大層な映画館ではない。商店街のなかにある、下駄履きでゆけるような庶民的な映画館。
あの頃は小さな町にも映画館が多かった。
同じ成瀬巳喜男監督の『鰯雲』(昭和三十三年)は次第に都市化してゆく小田急線沿線の厚木の農家の物語(畑の向こうをロマンスカーが走っている)だが、このなかに、農家の次男坊で町の銀行に勤めている太刀川洋一がいとこの水野久美と映画を見に行く場面がある。
レストランで食事をしたあと映画館に行く。
厚木セントラルという実際にあった映画館で、ジェームズ・スチュワートがリンドバーグを演じたビリー・ワイルダー監督の『翼よ!あれが巴里の灯だ』(57年)とスタンリー・キュークリック監督のギャング映画『現金(げんなま)に体を張れ』(56年)の豪華二本立て。こういう二番館というものが近年なくなってしまった。
鈴木英夫監督のサスペンス映画『彼奴を逃すな』(昭和三十一年)では、町の商店街でラジオの修理店を営む木村功が、仕事を終えたあと、奥さんの津島惠子と近所の映画館にイギリス映画、キャロル・リード監督の庶民劇『文なし横丁の人々』(55年)を見に行く。
この時代、若い夫婦が仕事のあと近所の映画館に出かけることはごく普通のことだった。まだテレビが普及していない時代、映画は昭和の小市民の最大の楽しみだった。
だからこの時代の映画には主人公たちが映画を見に行く場面が実に多い。それだけ映画が庶民の暮しの中に溶け込んでいた。
『鰯雲』が公開された昭和三十三年(1958)は映画人口が11億2700万人とピークに達した年。国民一人あたり一年に12、3回映画館に通った勘定になる。(現在はその十分の一)。まさに映画の黄金時代だった。映画館は昭和の町の大事な場所だった。