丸ノ内美容院とマーセル・ウェーブ
日本の女性の洋髪は大正末から始まった。日本映画黄金時代の有名な結髪師、伊奈もとの回想記『髪と女優』(61年、日本週報社)によると、大正十二年(1923)に皇太子(のちの昭和天皇)が海外巡幸した際に随行した宮中御用掛の理髪師が洋髪技術を習得、帰国後、それを公開したのがきっかけで次第に洋髪が広まったという。
日本で最初の美容院は、アメリカで美容を学んできた山野千枝子が大正十一年に、当時、東京駅前に完成した丸ノ内ビルヂング(丸ビル)のなかに開いた「丸ノ内美容院」。
西清子の『職業婦人の五十年』(日本評論社、55年)にこうある。
「(丸ビルに)開店した山野千枝子の〈丸ノ内美容院〉からは、赤の口紅、マーセル・ウェーブのモダン・ガールが、たくさん、つくりだされた。アメリカから帰ったばかりの彼女は、日本おけるアメリカ流美容術の開拓者となったのである」
文中の「マーセル・ウェーブ」とは十九世紀末にマーセルというフランス人が考案した、鋏のようなアイロン(焼き鏝(ごて))を使って髪全体にウェーブをつけてゆく髪型。
その後、パーマネント・ウェーブ機が導入され「パーマネント」が普及していった。
美容師となり身を立てる女性たち
昭和モダニズムの作家、吉行エイスケの夫人で、吉行淳之介、和子、理恵の母親、吉行あぐりは岡山県の生まれ。十代の頃に女性も職業を持たなければいけないと、大正十四年に上京し、山野千枝子に弟子入り、「丸ノ内美容院」で修業した。
昭和四年(1929)には東京・市ヶ谷に「山ノ手美容院」(のち「吉行あぐり美容室」)を開いた。草創期の美容師の一人。
昭和七年にはアメリカで美容術を習得したメイ牛山(牛山マサコ)が銀座七丁目にハリウッド美容室を開店。アメリカ製の新しいパーマネント・ウェーブ機を導入して話題になった。
昭和の戦前の美容師を描いた映画がある。
昭和十三年の作品。古屋信子原作、清水宏監督の『家庭日記』。
三宅邦子演じるヒロインは、大学生の佐分利信と恋仲になるが、家の事情のため結婚は出来ない。
傷心の彼女は満州(いまの中国東北部)に渡り、美容師となって身を立てる。その後、日本に戻って、妹(三浦光子)と共に美容院を開く。
場所は当時、急速に発展している盛り場、新宿。「リラ美容院」という名のしゃれた店。助手を三人も使っている。
こんなセリフがある。
「むかしは髪結いの亭主、いまは美容院のハズよ」。美容師が時代の先端を行くモダンな自立した女性であることが分かる。
実際、市ヶ谷に美容院を開いた吉行あぐりは、夫の吉行ケイスケが昭和十五年(1940)に亡くなったあと三人の子供を育てている。百三歳になる現在もお元気。
平成九年(1997)、吉行あぐりを主人公にNHKの朝の連続テレビ小説「あぐり」が放映されたのは記憶に新しい(田中美里主演)。