喫茶店がモダン都市のなかで重要な役割を果たすようになっている。戦前のメロドラマの傑作、岸田國士原作、吉村公三郎監督の『暖流』(39年)では、小学校時代の同級生、高峰三枝子と水戸光子が、『麦秋』と同じようにニコライ堂の見える喫茶店で久しぶりに会って友情を確かめ合う。
ニコライ堂が見え、鐘の音も聞こえてくる喫茶店は、当時の若い世代にとっては外国のように感じられたのだろう。
もっとも、この時代、十代の少女たちにとって喫茶店は、大人や恋人たちの行くところとして少し敷居が高ったようだ。一方で学校の先生たちは、喫茶店を不良のたまり場と考えたりもした。
大正十年(1921)生まれの水村節子の回想的小説『高台にある家』(角川春樹事務所、01年)には、昭和八年ころ、大阪の女学生だった「私」が、大阪の町のいたるところにあった喫茶店の魅力に惹かれ、友人たちと何度も通ううちに先生に見つかって叱責された思い出が書かれている。
喫茶店は不良のゆくところ。そういう偏見は戦後も残っている。
小津安二郎監督の『東京暮色』(57年)では二十歳を過ぎた若い女性、有馬稲子が恋人(田浦正巳)を深夜喫茶で待っていると、刑事(宮口精二)に補導されてしまう場面がある。こうなると喫茶店にも気楽に入れない。