時代変われど鎌倉、箱根は人気の旅行地
昭和十七年(1942)に公開された小津安二郎監督の『父ありき』でも修学旅行が描かれる。
父親(笠智衆)は金沢の中学校で先生をしている。秋、四年生(現在の高校一年生)を連れて修学旅行に行く。
先生の笠智衆は数学の授業を終えると、修学旅行の日程を説明する。待っていましたと生徒たち(男子)は大いに湧く。
東京で「まず、宮城遥拝」、続いて、明治神宮と靖国神社を参拝。このあと、鎌倉、江の島、箱根と巡る。生徒たちにとっては、鎌倉からが楽しい旅行だろう。大仏の前では記念写真を撮る。
箱根山を〽箱根の山は天下の険……と歌いながら登り、夜、芦ノ湖畔の宿に泊る。
生徒たちは、お喋りをしたり、家へ葉書を書いたり、あるいは、足に出来たまめをつぶしたりしてくつろぐ。先生たちは碁を打っている。
楽しい筈の修学旅行だが、このあと、芦ノ湖でボート遊びをしていた生徒が事故死してしまう。修学旅行では事故が怖かった。
修学旅行生相手の旅館はてんてこまい
戦争が激しくなると修学旅行は中止される。
戦後、復活し、世の中が落着いてくると修学旅行は以前より盛んになる。
井伏鱒二の『駅前旅館』(昭和三十二年)は、上野駅前の旅館の番頭を主人公にしている。大勢でやってくる学生たちはお得意様。当時、東京の旅館がいかに修学旅行の学生でたてこんでいたか。こうか書かれている。
その日はまず、前の晩に泊った広島県福山の高校の学生たちが百人あまり、夜明けと共に帰ってゆくと、入れかわりに九州の若松の定時制に通う生徒が四十人あまり到着。そこへ青森の中学生が百人あまり、さらに大阪の高校生が七十人あまりと続く。
宿の人間は大忙し。それだけ、世の中にゆとりが出てきた証しでもあるだろう。
三島由紀夫に「修学旅行」(昭和二十五年)という短篇がある。島(伊豆大島あたりと思われる)のホテルを舞台にしている。このホテルはこのところ営業不振で支配人はやむなく修学旅行を受け入れる。
東京の中学生の修学旅行だが、決まってガラスや花瓶が割られ、シーツが汚され、他の客からは眉をひそめられる。
悪童たちの団体を相手にするのは大変なことだったろう。
村松梢風原作のオムニバス映画『女経』(60年)の第三話「恋を忘れていた女」では、主人公の京マチ子が京都の旅館のおかみ。もともとは芸者で老舗旅館に嫁いだ。
経営の才能があり、修学旅行専門の旅館にした。老舗の旅館としては格が落ちるが、そのほうが商売になるという。高度経済成長期ならではだろうか。
修学旅行を我慢するけなげな娘
『二十四の瞳』では修学旅行にいけない子供が描かれたが、戦後になっても、同じようなことは起る。
畔柳二美(くろやなぎふみ)原作、家城巳代治(いえきみよじ)監督の『姉妹』(55年)は、山のなかの発電所を舞台にした一家の物語。父親(河野秋武)は発電所の技師。娘二人は親戚の家に下宿し、町の女学校に通っている。恵まれている。
妹(中原ひとみ)の学年が修学旅行に行くことになる。楽しみにしていると、父親が旅行に行くことに反対する。なぜか。
発電所では不景気のために人員整理をしている。昔気質の父親としては、仲間が苦しんでいるときに、自分の家だけが娘を修学旅行に出すわけにはゆかないという。
はじめは「なぜ、私が行けないの」と釈然としなかった娘も、父親の思いに触れて、納得し、修学旅行をあきらめる。我慢する。
昭和の子供はけなげだった。
かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を、鉄道が走る』(交通図書賞)『君のいない食卓』『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き』『美女ありき―懐かしの外国映画女優讃』『映画は呼んでいる』『ギャバンの帽子、アルヌールのコート:懐かしのヨーロッパ映画』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあり』など多数の著書がある。