洋服は社会進出する女性たちとともに
日本で洋服が広がってゆくのは、大正時代になってから。明治時代には、上流階級の女性が西洋に倣って洋服を着ることはあったが、一般にはまだ普及していなかった。
第一次世界大戦後、都市化、産業社会化が広まって、それに伴い、社会進出する女性が増えてゆく。彼女たちが、活動的な洋服を着るようになった。
服装史の教えるところでは、大正八年(一九一九) に東京市街自動車株式会社が女性の車掌に制服を採用したことで、洋服が広く認められるようになった。いわば、洋服は働く女性の仕事着だった。大正十二年の関東大震災の時に、洋服のほうが動きやすいということも分かった。
日本で最初の洋裁学校は、大正八年に並木伊三郎によって創立された婦人子供服裁縫店、文化服装学院の前身である。昭和九年には、ここから日本で最初のスタイルブック『服装文化』(のち『装苑』)が創刊されている。
谷崎潤一郎の『細雪』は、大阪、芦屋に住む蒔岡家の四姉妹の物語。昭和十一年から十六年にかけてが舞台になっている。
四姉妹のなかでは四女の妙子がいちばん現代的で、旧家のお嬢さんらしい姉たちと違って、社会に出て働こうとする。まだ女性の社会進出が少なかった時代、妙子は姉たちに「職業婦人」と侮られながらも。手に職を持とうとする。
はじめ人形作りを手がけ、教室まで開くが、次第に「少女のするようなたわいのない仕事」に見切りをつけ、洋裁を学ぶことにする。
「玉置徳子の学校」というところに通うことになるが、玉置徳子とは、日本のファッション・デザイナーの草分け、田中千代のことで、「学校」は、田中千代が昭和七年に阪神間の御影に開いた洋裁塾。
当時、阪神間は関西の富裕層が住む土地で、先端的なモダニズム文化が花開いた。田中千代の洋裁塾は、そのモダニズム文化のなかに出来た、おしゃれな学校だった。
洋裁には古き良き手作りの味わいがある
池辺葵の漫画を映画化した三島有紀子監督の『繕い裁つ人』(15年)は、まさに洋服発祥の地というべき神戸で、昔ながらの個人の洋裁店で一人、こつこつと洋服を仕立ててゆく女性を主人公にしたノスタルジックな物語。「洋裁」が死語になっている時代に、この映画のなかには、古き良き手作りの昧がある。
中谷美紀演じる主人公は、神戸の坂の上の古い洋館に住み、小さな洋裁店を営む。祖母から受継いだ。二代目。
客は近所の人が多い。祖母が作った服の仕立て直しやサイズ直し、それにたまに新作。
母親のワンピースを自分用に仕立て直してほしいという女学生(杉咲花)や、亡き夫とはじめて会った時に着ていた服で死に装束を作ってほしいと頼む老婦人(中尾ミエ)。依頼にも心がこもっている。
大量生産ともブランド志向とも無縁、町の小さな洋裁店がユートピアのように見えてくる。
かわもと さぶろう
評論家(映画・文学・都市)。1944 年生まれ。東京大学法学部卒業。「週刊朝日」「朝日ジャーナル」を経てフリーの文筆家となりさまざまなジャンルでの新聞、雑誌で連載を持つ。『大正幻影』(サントリー学芸賞)、『荷風と東京『断腸亭日乗』私註』(読売文学賞)、『林芙美子の昭和』(毎日出版文化賞、桑原武夫学芸賞)、『映画の昭和雑貨店』(全5 冊)『映画を見ればわかること』『向田邦子と昭和の東京』『それぞれの東京 昭和の町に生きた作家たち』『銀幕の銀座 懐かしの風景とスターたち』『小説を、映画を鉄道が走る』(交通図書賞)『白秋望景』(伊藤整文学賞)『いまむかし東京下町歩き』『成瀬巳喜男 映画の面影』『映画の戦後』『サスペンス映画ここにあり』『日本すみずみ紀行』『東京抒情』『ひとり居の記』『物語の向こうに時代が見える』『「男はつらいよ」を旅する』『老いの荷風』『映画の中にある如く』など多数の著書がある。