長年スクリーンで楽しませてくれた映画人たちの訃報に接する機会が増えてきた。
それだけわれわれも年を重ねてきたということなのだが、やはり寂しい。
現在、国立映画アーカイブでは、『逝ける映画人を偲んで』と題して
2021年から2022年に鬼籍に入った映画人たちの作品を上映する
追悼企画が開催されている。
千葉真一、田村正和、田中邦衛、宝田明といった俳優から、
吉田喜重、澤井信一郎、青山真治、崔洋一ら映画監督、
さらに撮影、脚本、美術、音楽、衣装など映画に関わってきた
100名以上の映画人の業績を回顧・顕彰するオマージュとして
85作品(72プログラム)が上映される。
映画史にその名を刻む名作から、名作として語られる作品ではないが、
映画人たちの仕事がしっかりとなされた、その仕事の魅力を堪能できる作品まで、
なかなか劇場にかかることのない作品も含めた映画ファンを唸らせるラインアップ。
彼らの愛した映画の仕事は、時代を超えて永遠に輝き続ける。
千葉真一と東映の仲間たちが逝った 2021~2022
文=米谷紳之介
映画館に通うようになった中学の頃から、役者や監督のプロフィールを見るのが好きだった。敬愛する小津安二郎が12月12日に生まれ、還暦を迎えた年の12月12日に亡くなっているのに気づいたのは大学時代。仮に小津学検定があったとしたら、5級程度の知識に過ぎないが、当時は大発見をした気分だった。
あるいは、クリント・イーストウッド、スティーブ・マックイーン、ショーン・コネリーといったスターが全員1930年生まれだ。1931年2月16日生まれの高倉健は日本流にいえば、彼らと同学年になる。さらにジャン=リュック・ゴダールと深作欣二が1930年生まれ。こうした事実を知ると、映画史にも興味が沸いてくる。高校時代はようやくゴダールを知る一方で、深作の『仁義なき戦い』シリーズに熱狂した。とりわけシリーズ第2作『広島死闘篇』で、それまでの二枚目スターの殻を壊した千葉真一の演技には仰天した。狂暴で、手がつけられない暴れっぷりは映画史に残るキャラクター誕生を思わせた。
約半世紀後、その千葉をインタビューし、60年に及ぶ役者人生を書籍にまとめることになったのだから、幸運としか言いようがない。2020年の春に始まった取材は翌年夏まで続いた。6月末のインタビューで聞きたかったことはほぼ聞き終え、細部の確認をするために9月に会うことを約束して別れた。
「是非会いましょう。私は何度でも構いませんから」
快活に語る笑顔が、ぼくにとって千葉真一の最後の記憶である。約50日後の8月19日、コロナウィルス感染による訃報が届いた。