舟木さんは、また「太っ腹」な人でもある。これまで舟木さんに五本の作品を書いてきたが、打ち合わせはごく簡単なものだったような気がする。
ご自分はお飲みにならないのに、私に好物のビールを次々と出して下さり、作品をつらぬく大まかなテーマと、ところどころにご自分のアイデア をおっしゃるだけで、具体的な内容はすべて任せて下さる。
そして、初稿をお送りするとすぐに電話がある。これが嬉しい。どんな社会でも同じだと思うが、新しい企画 へ、自分の意見を表明するのは勇気のいることだ。
舟木さんは、常に明快だ。おっしゃる感想は必ず短い。天一坊事件を描い た『八百万石に挑む男』の時は「勝った ね!」の一言だった。『どうせ散るなら』の時は「一発回答!」だった。
こんなに喜びがストレートに伝わってきて、嬉しい電話はない。作者冥利 に尽きるというのはこのことだと思っ た。
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「歌手芝居」という言い方がある。歌手を本業としている人が、大劇場で、たいてい時代劇とショーの二本立て、昼夜二回公演。団体客を取り込み易く、興行主にとっては安心な公演だ。
ただ、「歌手芝居」という言い方には、どこか偏見の響きがある。所詮「歌手の余技」ではないか、と。
私は舟木さんと芝居を作ってきて、それがとんでもない誤解だと思い知らされた。上演時間の制約がある中、スピーディで判りやすい展開が求められる。それは、限られた言葉数の中で、いかに深く大きな世界を作り、感動をもって伝えるか、という歌手ならではの使命に近いものなのではないか。
そして、なによりも目から鱗が落ちるように納得したのは、言葉に対する鋭敏な感覚だ。それはそうだ。思えば、 テレビやラジオから、しかも無料で流れて来たあの三分強の歌に、私たちはどれほど感動し、勇気づけられてきたことか……。
「高校三年生」で育った昭和29年生まれの私は、深く感じ入る。舟木一夫とは、こんなにも、言葉を愛し、言葉を大切に歌って来た人なのか、と。