久世ドラマには昭和が匂い立つ
そんな久世さんと全然親しくはなれなかったけれど、六本のドラマを作れたことを幸福だったと感謝している。どうして上手でもない私なんかに六本も自由に書かせてくれたんだろう。それ以上に、生まれも育ちもまるでちがうふたりにどんな接点があったんだろう。
久世さんは職業軍人の父を持ち、昭和天皇の御影が飾られた少々おかたい家庭で育ち、私は奇妙な役者たちが出入りする家で育った。伯父の故・信欣三は久世ドラマに出たこともある。女優の伯母は神経を病んでいて、その親友が故・北林谷栄さんや故・細川ちか子さん。(故が多いので。以下省略)宇野重吉、滝沢修、殿山泰司さんなんかも出入りする奇妙な家だった。金木犀の匂いのする家で育った少年は東大美学へと進み、やがて変態人間好きな演出家になった。私もへんてこりんな人間大好きなモノ書きになった。ふたりがクロスしたものは何だったのかと、今になって考えると、たぶん「匂い」だったような気がする。
ふたりとも病弱な少年少女だったから、よく微熱を発した。微熱をまとって布団に横たわっていると、細胞や感覚がひっそり研ぎ澄まされて、夢想を誘うくらい鋭敏になってくる。久世さんに訊いたことはないけれど、目と耳と口と鼻でどれが一番好きだったかしら。私は鼻。だって鼻がいちばん正直だもの。目は閉じれば暗躍になるし、耳もふさげば聞えない。口なんか有りもしない嘘だって言える。でも鼻は自ら閉じることも開けることもできないまま、じっと世界と対峙している。そんな鼻がいちばん好き。幼い久世さんも私も微熱に包まれて、どんな匂いを嗅いでいたのだろう。怖い夢。甘ずっぱい夢想。そんな自分が気怠くてイヤになっちゃうようなあたたかな「匂い」。
久世ドラマにあって、他の人が演出したドラマにないものは「匂い」だ。それはとても素敵なことだ。あらゆる感覚の中で、嗅覚がいちばん記憶をよび起こすらしい。脳に近いからかな。久世ドラマの懐かしさは「昭和」を扱っているからだけではない。その中に匂いがあるから、匂い立つような人間がいたからだ。そんな人間がいられたのは、昭和という時代だったからなのかもしれない。