今回のトップバッターは、昭和47年8月6日放送の〝スタ誕〟テレビ予選で番組史上最高得点の573点を獲得し、同年の決戦大会でも番組史上最高となる25社からの指名を受けた、当時中学2年の桜田淳子である。
ちなみに、「スター誕生!」からデビューした歌手には、初代グランドチャンピオンの森昌子をはじめ、山口百恵、城みちる、伊藤咲子、片平なぎさ、岩崎宏美、新沼謙治、ピンク・レディー、渋谷哲平、石野真子、柏原芳恵、小泉今日子、中森明菜、松本明子ら、名前を挙げると枚挙にいとまがない。桜田淳子は、昭和48年にビクターから「天使も夢みる」でレコードデビューし、被っていたキャスケットは〝エンジェルハット〟と呼ばれ、話題になった。後に、同じ〝スタ誕〟出身の森昌子、山口百恵と共に、トップアイドルの象徴的な呼称として〝花の中三トリオ〟と名づけられ、トリオとしての名称は〝高三トリオ〟まで続いた。
3枚目のシングル「わたしの青い鳥」のヒットで、日本レコード大賞最優秀新人賞、日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞した。その後も「花物語」(オリコンチャートのベストテンに初のランクイン)、「三色すみれ」「黄色いリボン」「花占い」「はじめての出来事」(オリコンチャート第1位を獲得)、「ひとり歩き」「十七の夏」「ゆれてる私」「夏にご用心!」「ねえ!気がついてよ」「気まぐれヴィーナス」「リップスティック」「サンタモニカの風」など数々のヒット曲をリリース。また、中島みゆき作詞・作曲による「しあわせ芝居」「追いかけてヨコハマ」「20才になれば」「化粧」も話題を呼んだ。昭和50年には、オリコンのシングルレコード年間売上、マルベル堂のプロマイド売上などで、女性歌手部門の1位にも輝いた。NHK紅白歌合戦には、昭和49年に「黄色いリボン」で初出場以来、連続9回出場している。昭和49年の初出場組には、山口百恵、あべ静江、「あなた」の小坂明子、ペドロ&カプリシャス、西城秀樹、中条きよし、殿さまキングス、武田鉄矢率いる海援隊、渡哲也がいる。昭和52年には「気まぐれヴィーナス」で、紅組のトップバッターを務めた。対戦相手は郷ひろみだった。
また、当時絶大な人気を誇っていたザ・ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」にもたびたび出演しており、志村けんとの夫婦コント「私って駄目な女」シリーズは、息の合った絶妙なかけ合いぶりで人気を呼び、見事なコメディエンヌぶりを発揮していた。歌手として活躍すると同時に、女優としても引く手あまたで、『スプーン一杯の幸せ』『若い人』『男はつらいよ 葛飾立志篇』『病院坂の首縊りの家』『動乱』『イタズ』(キネマ旬報、報知映画賞、日本アカデミー賞助演女優賞受賞)、『海へ~See you』『花の降る午後』『お引越し』(キネマ旬報、毎日映画コンクール、報知映画賞助演女優賞受賞)などの映画で女優としての資質にも注目された。郷ひろみ、西城秀樹との共演が話題を呼んだ東京原宿・表参道を舞台にしたテレビドラマ「あこがれ共同隊」、田村正和や真田広之らと共演したドラマ「ニューヨーク恋物語」を今一度観てみたい。
女優としての話が続くが、やはり舞台での活躍にも触れておかねばならない。初舞台は昭和53年の東京宝塚劇場での『おはん長右衛門』で、東宝歌舞伎の大御所だった長谷川一夫の指名により相手役を務めたのである。女優としての才能が見事に花開いたのは、昭和55年の初主演ミュージカル『アニーよ銃をとれ』だろう。文化庁芸術祭大衆芸能第2部門の優秀賞を受賞し、昭和61年には『アニーよ銃をとれ』『エドの舞踏会』(八千草薫共演)、『十二夜』(大地真央共演)などの演技で、芸術選奨大衆芸能部門で文部大臣賞を受賞し、女優としての今後が期待されるとの大きな評価を得ていた。『細雪』(淡島千景、新珠三千代共演)、『女坂』(山田五十鈴共演、菊田一夫演劇賞受賞)、『野田版・国姓爺合戦』(池畑慎之介、橋爪功共演)、『濹東綺譚』(浅丘ルリ子、加賀まりこ共演)など、意欲を持って舞台に臨んでいたことが推察される。そんな状況の中での、あまりにも早い引退は、女優としても、歌手としても惜しまれてならない。
ここで桜田淳子の1曲を選ぶのは難しい。できればデビュー曲からメドレーですべてのヒット曲を聴いてみたい。今、どんなファッションで、どんな表現で歌を披露してくれるのか興味深い。ぜひテレビに登場してもらいたいと切望するところだが、かなわぬ願いであれば、せめて当時の映像を「特集桜田淳子」として、テレビで企画してもらいたい。それを望む多くのファンがいるはずである。