岡本太郎ほど多くの人に親しまれ、その多面性ゆえに誤解され続けた芸術家はいない。
「いろいろに仕事をされるけれども、本職は何なのですか」との問いかけに、
「本職って、あえていえば人間かな」と答えた件はよく知られている。
絵画、彫刻、写真、文筆、デザインを手がける傍ら、コメンテーターを務めるなど、
多岐にわたる活躍は20世紀を代表する日本人の一人であることに疑いはない。
「面白いねえ、実に。オレの人生は。だって道がないんだ。眼の前にはいつも、なんにもない。ただ前に向かって心身をぶつけて挑む、瞬間、瞬間があるだけ。」『岡本太郎』(平凡社、1979年)の岡本自身の言葉である。
生誕111年の今年、「展覧会 岡本太郎」が大阪、東京、愛知で巡回されるのを期して、音楽、映画、美術、舞台など幅広いジャンルでプロデューサー、ディレクターとして岡本太郎と同じように道なき道を切り拓いてきたお一人である、立川直樹さんに「岡本太郎の世界」へご案内いただこう。
岡本太郎が好きだ
文=立川直樹
少年時代から世の中をあげて大騒ぎするようなイベントが好きではなかったこともあって、73歳という僕の歳には珍しくテレビにかじりついて東京オリンピックを見た記憶もなく、日本中からたくさんの人が訪れた1970年の大阪万博に出かけることもなかった。
だから岡本太郎という名前を一般の人が広く知るきっかけになった大阪万博会場を覆う大屋根をぶち破って設置された〝太陽の塔〟を見たのは大阪万博開催から20年以上経ってからのことになる。正確な時期と遅れてきた初めての出会いは覚えていないのだが、僕にとっての岡本太郎はテレビで「芸術は爆発だ!」とわめき「グラスの底に顔があってもいいじゃないか」といういかにもという言葉を真面目につぶやくテレビコマーシャルのキャラクターとしての印象の方がずっと強かった。
でも、いつかの間にか岡本太郎は僕の好きな芸術家の仲間入りを果たしていた。画家でもあり、造形作家であり、まるで間欠泉のように噴き上がる言葉を放ち、それが数々の著作にも残されている岡本太郎。21世紀に入ってから状況はかなり変わってきたとはいうものの画家なら画家、作家なら作家、写真家なら写真家、というひとつの肩書を真摯に追求して活動する人たちの方がジャンルを越境して奔放に活動する人たちよりもきちんと評価されるきらいのある日本という国では岡本太郎は異端ともいえる存在であり、寺山修司、三島由紀夫についても同じようなことが言えるかも知れない。海外に目を向けてみれば岡本太郎とは完全に同じ種族であると僕が思っているサルヴァドール・ダリをはじめアンディ・ウォーホルやジャン・コクトー、ヨーコ・オノ……あたりの名前がその後に続く。