1970年代半ば、角川春樹という奇才のもと、低迷していた日本映画界を活気づけたのが角川映画である。それは、小説と映画と主題歌をヒットさせ、ベストセラー作家とスターを生んでいくもので、メディアミックス手法と言われた。確か「読んでから見るか、見てから読むか」のキャッチコピーがあったが、これは今でも記憶に残る名コピーだ。
角川春樹が創業者の父・角川源義の会社、角川書店に入社したころは、角川文庫の他、国語などの教科書の出版を事業の柱としていた。1967年アメリカではダスティン・ホフマン主演の青春恋愛映画『卒業』とともに原作の小説、主題歌も大ヒットしていることを知ると、映像と活字、音楽の三つを融合させベストセラーづくりができると確信した。源義が亡くなり、春樹が社長に就任すると、角川書店とは別に映画製作のための株式会社角川春樹事務所を設立。そして角川春樹事務所が76年10月東宝から配給した第1作品が、『犬神家の一族』である。監督は市村崑、石坂浩二主演で、高峰三枝子、草笛光子、小沢栄太郎、三國連太郎、島田陽子、あおい輝彦ら豪華俳優陣が出演し、音楽は「ルパン三世」シリーズの作曲家としても知られる大野雄二が担当した。さらに画期的だったのは「金田一さん、事件ですよ」というキャッチコピーがテレビのスポットCMでも流されたことだ。それまで映画業界は宣伝にテレビを使うことはなかった。映画の宣伝と同時に全国の書店で角川文庫のフェアなども展開すると、横溝正史の文庫本も大幅に売上げを伸ばした。横溝正史は江戸川乱歩と並ぶ推理小説の二大巨匠だが、60年代は忘れられた存在になっていた。40年代に刊行された『八つ墓村』をはじめ『獄門島』『本陣殺人事件』『悪魔が来りて笛を吹く』『女王蜂』などが次々と角川文庫で刊行され、空前の横溝ブームが起こった。77年には文壇長者番付で第3位、いかに著作本が売れたかを物語っている。
第2弾が77年公開の『人間の証明』である。原作は森村誠一、監督は佐藤純彌、脚本は一般公募に応募したベテランの松山善三、配給は東映だった。岡田茉莉子、三船敏郎、鶴田浩二といった日本映画の大スターとともに、松田優作が出演。「ママ ドゥ ユー リメンバー」と絞り出すような声で歌うロックシンガー、ジョー中山の「人間の証明のテーマ」は、テレビCMでもよく流され、映画より先に耳についてしまった。書店では「森村誠一フェア」も開催、当然のごとくベストセラーになった。
78年公開の『野生の証明』は、高倉健が主演。13歳の薬師丸ひろ子が長井頼子役で女優デビューした。ヒロインの頼子役には公開オーディションが開催され、1200人以上の応募があったが、角川は薬師丸の〝目〟を見て決めたという。その後薬師丸は80年『翔んだカップル』、『ねらわれた学園』に主演。『セーラー服と機関銃』『探偵物語』『Wの悲劇』『メイン・テーマ』などの主演映画の主題歌も歌い大ヒットした。81年『セーラー服と機関銃』が公開されたの頃の薬師丸の人気は途轍もないものだった。封切り日には、薬師丸の舞台挨拶に若者が殺到し、翌日大阪の梅田と道頓堀の東映の映画館には前夜からファンが並び、入場できなかった人たちの間で騒動が起き大阪府警は機動隊を出動するほどだった。ところが、薬師丸は大学進学のため入試が終わるまで女優を休止することになり、ポスト薬師丸となる新しいスターを発掘する必要があった。
そこで実施されたのが「角川映画大型新人女優コンテスト」だった。優勝者には82年12月公開予定の山田風太郎原作、真田広之主演の『伊賀忍法帖』のヒロインになることができる。このオーディションに応募してきたのが原田知世だった。原田は映画『魔界転生』をみてから真田広之のファンになり、真田に会えるかもしれないという子供らしい動機から応募した。長崎出身の当時14歳の原田は、九州大会で特技のバレエを披露して勝ち進み、その将来性を直感した角川は特別賞を与えた。優勝は渡辺典子だったが、薬師丸ひろ子と渡辺典子とともに角川3人娘といわれ角川映画の看板女優としてアイドル的な人気を博していく。