★特集コラム 劇団俳優座80年の役者たち Vol.11
2024年2月10日に創立80周年を迎えた「劇団俳優座」。劇団俳優座で活躍した名優たちをクローズアップしてお届けする。第11回は俳優座養成所12期生の山本圭(1940年7月1日~2022年3月31日)
山本圭は、田宮二郎の『白い巨塔』(66)、『戦争と人間 三部作』(70~73)、『華麗なる一族』(74)など数々の名画の監督をした山本薩夫を叔父に、兄の學、弟の亘も俳優という芸能一家で育った。父は建築家の山本勝巳。子供の頃から叔父の映画セットを家族で見学に行っていたので、自然な流れで俳優になる夢を抱くようになった。
60年に俳優座養成所に入所。同期には中村敦夫、伊藤孝雄、東野英心、成田三樹夫、松山英太郎、樫山文枝、長山藍子らがいた。62年、叔父の山本薩夫監督による『乳房を抱く娘たち』でスクリーンデビューを果たしたが、撮影一日目に監督から厳しい洗礼を受けたのだった。「お前、俳優座で何をしてきたんだ!」と罵倒され、ワンカットも撮れず終わってしまうという失態で、初めての撮影現場で涙したというほど指導は峻烈だった。
3年の養成所期間を終え、63年に俳優座に入団。64年日生劇場で俳優座20周年記念公演『ハムレット』では、仲代達矢がハムレット、平幹二朗がホレイショ―、市原悦子がオフィーリアで、山本は後ろに立っている廷臣だったが、ここで様々なことを学ぶ。その後、岸田國士作、阿部廣次演出の『落葉日記』(66)では、俳優座の結成に参加した新劇を代表する名女優・東山千栄子と共演を果たす。
『戦争と平和』(73)、『幽霊』『ケネディの子ら』(76)、『お気に召すまま』(78)などに出演し、40歳のときに『ハムレット』(80)で主役を演じ、俳優座を退団した。その後演劇では、仲代達矢と宮崎恭子が主宰する劇団・無名塾の公演にも数多く出演した。二人は山本圭と棋士・小川誠子の仲人でもあった。『お気に召すままに』(俳優座)や93年の『リチャード三世』(無名塾)では女性役も違和感なく演じ、高い演技力が評価された。
テレビドラマも多数の出演作品があるが、なかでもフジテレビの「若者たち」(66)では、両親を立て続けになくし冷蔵庫もない家で仕事に勉学に励む5人兄妹の三男・佐藤三郎役を演じ人気を博した。68年からは、映画化3部作で同役で出演し、毎日映画コンクール助演男優賞を受賞。
70年代から80年代初頭は、今井正監督の『小林多喜二』(74)、『皇帝のいない八月』(78)、『新幹線大爆破』(75)、『鬼龍院花子の生涯』(82)などの作品に出演。活動家や狂気の役を演じる山本のセリフは切迫感があった。フジテレビ系「ムツゴロウとゆかいな仲間たち」シリーズ(80~01)などでもナレーターを務めたが、歯切れがよく、言葉も明確、山本の語りは番組の一部になっていた。洋画の吹替も多く、『ドクトル・ジバゴ』(65)のジバゴを演じたオマー・シャリフ、『ジャッカルの日』(73)で凄腕の殺し屋ジャッカルを演じたエドワード・フォックス、『ディア・ハンター』(78)のロバート・デ・ニーロなどを吹替をした。
90年代以降は、親子ほどに歳の離れた俳優たちとの共演が増え、93年のフジテレビ月9ドラマ「ひとつ屋根の下」では江口洋介、福山雅治、酒井法子らが演じた「柏木兄弟」を支える「ゆきおじさん(広瀬幸夫)」で味のある役柄を演じた。NHK大河ドラマ「八大将軍吉宗」、「功名が辻」、「天地人」、「八重の桜」のほか、「白線流し」「リング~最終章~」「SP」シリーズなどのドラマでは脇役として存在感を示した。同時代に活躍した昭和のスターたちと出演したテレビドラマ「やすらぎの刻~道」(19~20)が遺作となった。2022年3月31日肺炎のため逝去。享年81。