プロマイドで綴る
わが心の昭和アイドル&スター
企画協力・写真提供:マルベル堂
大スター、名俳優ということで語られることがない人たちかもしれないが、
青春の日々に密かに胸をこがし、心をときめかせた私だけのアイドルやスターたちがいる。
今でも当時の映画を観たり、歌声を聴くと、憧れの俳優や歌手たちの面影が浮かび、懐かしい青春の日々が甦る。
プロマイドの中で永遠に輝き続ける昭和の〝わが青春のアイドル〟たちよ、今ひとたび。
※プロマイドの老舗・マルベル堂では、原紙をブロマイド、写真にした製品を「プロマイド」と呼称しています。ここではマルベル堂に準じてプロマイドと呼ぶことにします。
結婚と同時に女優を引退してすでに半世紀以上が経つ。倍賞千恵子、岩下志麻、鰐淵晴子らと並ぶ松竹を代表する若手女優だった。映画界には12年ほどしかいなかったが、小津安二郎、中村登、渋谷実、五所平之助、豊田四郎、黒澤明、五社英雄、山田洋次などなど、名だたる監督作品に出演しており、日本映画史の一ページに名を遺す女優と言って差し支えないだろう。黒澤明作品は『赤ひげ』だ。東宝映画なので、他社出演ということになる。大震災で夫と別れ別れになり、再会したときには他の男の赤子を背負っており、夫への申しわけに胸に短刀を突き立てて自害するという哀れな女を演じた。
だが、僕に桑野みゆきという女優の存在を、忘れられないものにしたのは昭和35年の大島渚監督映画『青春残酷物語』だ。キュートで清純なイメージのハイティーンの女優がこの作品で一変した。美人局、堕胎、恐喝、そして死という破滅する壊れやすい青春を演じてみせた。迫力ある体当たりの演技ぶりで、女優として大きく脱皮した、と映画評などでも讃えられていたような記憶がある。中年男からホテルに連れ込まれるところを大学生の川津祐介に助けられるが、その彼に川に突き落とされ、挙句、材木の上で犯される。公開時には未就学児で映画館に行ける年齢ではなかったが、自分の意思で映画を観るようになった高校生の頃に出合ったとき、音が漏れるのではないかと思えるほど心臓がドキドキした記憶を今も身体が憶えている。暴力的だが同時に繊細な神経をも感じさせられた川津祐介が印象深かったのも、材木の上に横たわる桑野みゆきの肢体が悲しかったのも、僕が高校生だったからかもしれない。
そして記憶の彼方にかすかに残っているのが昭和37年から38年にかけて第1部から3部、そして完結篇まで作られ大ヒットした野村芳太郎監督『あの橋の畔で』。『君の名は』『愛染かつら』ばりの、この菊田一夫原作の大メロドラマのヒロインを桑野は演じた。相手役はNHKのドラマ「事件記者」などで人気があった園井啓介で、高視聴率を獲得したテレビ版でも同じ役を演じている。ちなみにテレビ版でヒロインを演じたのは歌手の島倉千代子。交通事故、記憶喪失など、現在の韓流ドラマも顔負けの愛の障害がもりだくさんのこのメロドラマを今一度観てみたい。昭和41年に日活に他社出演した『夜霧の慕情』も裕次郎との顔合わせという意味合いで興味がある。
文:渋村 徹(フリーエディター)
プロマイドのマルベル堂
大正10年(1921)、浅草・新仲見世通りにプロマイド店として開業したマルベル堂。2021年には創業100年を迎えた。ちなみにマルベル堂のプロマイド第一号は、松竹蒲田のスター女優だった栗島すみ子。昭和のプロマイド全盛期には、マルベル堂のプロマイド売上ランキングが、スターの人気度を知る一つの目安になっていた。撮影したスターは、俳優、歌手、噺家、スポーツ選手まで2,500名以上。現在保有しているプロマイドの版数は85,000版を超えるという。ファンの目線を何よりも大切にし、スターに正面から照明を当て、カメラ目線で撮られた、いわゆる〝マルベルポーズ〟がプロマイドの定番になっている。現在も変わらず新仲見世通りでプロマイドの販売が続けられている。
マルベル堂 スタジオ
家族写真や成人式の写真に遺影撮影など、マルベル堂では一般の方々の専用スタジオでのプロマイド撮影も受けている。特に人気なのが<マルベル80’S>で、70~80年代風のアイドル衣装や懐かしのファッションで、胸キュンもののアイドルポーズでの撮影が体験できるというもの。プロマイドの王道をマルベル堂が演出してくれる。
〔住〕台東区雷門1-14-6黒澤ビル3F
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