岸洋子が歌う「夜明けのうた」(作詞・岩谷時子、作曲・いずみたく)は1964年(昭和39)に発売されたが、前年の4月から9月、坂本九が勤労少年の主人公になった連続ドラマ「ぼうや」(日本テレビ系列)の主題歌だった。この主題歌を歌う九ちゃんの独得の鼻にかかった歌唱はかすかに記憶にある。翌1964年10月「夜明けの唄」としてシングルが発売されるのだが、同時に競作した岸洋子が歌う「夜明けのうた」のほうがヒットしたのが不思議だった。九ちゃんの「夜明けの唄」は、「僕」という歌詞で働く少年たちが元気になるような歌になっていたが、岸洋子は「僕」を「あたし」と置き換えて歌ったことによって、格調高くまったく別のものに変わったのだった。口ずさむ人によっては、ラブソングにもなった。しかし、テレビの歌番組に登場し始めたころ、岸洋子は「誰、この人?」だった。それまでの彼女のキャリアなど知らず、いきなり登場したのだった。中学から高校に進学するボクにとって、失礼ながら、すでに薹が立ったようなはるか年上の女性だった。ただその歌唱に流行歌手と違う正統的な深みのあるアルトの音域が適っていて、オーケストラをバックにしても堂々としたスケール感があった。夜明けという情景とともに爽快な歌に聞き入ったものだった。
いま、振り返れば1964年は「昭和」時代のエポックメーキングの年だった。戦後からの復興にひた走って間もなく20年、〝夜明け〟を暗示する年だったのではないか。東海道新幹線が開業し、首都高速道路が縦横に広がり、10月10日には、アジア圏ではじめて開催される「東京オリンピック」で日本中が沸いていた(少なくとも東京では)。まさに、気分は〝夜明け〟が迫ってきていて、岸洋子が高らかに歌う「夜明けのうた」に明るい希望と前途を感じさせた。
ボクら多感な少年にとっては刺激的な「平凡パンチ」が創刊され、アイビールックに身を包んだみゆき族が出現していた。ボクは雑誌『MENS CLUB』を教科書にして「VAN」でカッコつけるようになっていた。男子のファッションが身近になり髪を7:3に分けると、お洒落感がまったく新しくなったようだった。世界ではビートルズ旋風が巻き起こっていたし(1966年来日)、アメリカのIVYリーグが身近になって、高校生になるボクはいずれハーバード大学かコロンビア大学を目指そうなどと為せるすべもない夢を描いていた。一気に世界が迫ってきた年だったのだ。
岸洋子の「夜明けのうた」がしっかりと記憶に刻まれたのは、年末の第15回NHK紅白歌合戦だった。その5日前にさかのぼれば日本レコード大賞最優秀歌唱賞も受賞、作詞の岩谷時子は最優秀作詞賞を受賞しているが、紅白初出場の岸洋子の歌を聴きながら、テレビの前で母がつぶやいた。「やっぱり音楽の基礎を学んだ人はちがうねぇ」。その時はじめて東京藝術大学声楽専攻科を修了し、シャンソンやヨーロッパの歌を中心にしていたことを知ったのだった。紅白の影響もあってか、翌1965年の5月までには、シングルドーナツ盤64万枚が売れたと記録されている。1965年には、浅丘ルリ子主演の同名の日活の歌謡映画も制作されているが、それだけ大ヒット曲だったのだ。
岸洋子は、1970年にシャンソン風の「希望」をリリースし、有線放送から徐々に火が付いてこれも大ヒットさせた。もともと〝聴かせる歌手〟といわれ、歌唱の実力は誰もが認めていたが、若いころから病弱だった。2度目のレコード大賞歌唱賞を受賞しながら、入院中のため授賞式に出席できず、7年連続の紅白歌合戦出場を止めたのは〝膠原病〟という難病だった。それでも翌71年には春の選抜高校野球の開会式の入場行進曲に「希望」が選ばれ、前年で途切れた紅白出場を遂げている。病魔と闘いながら歌い続けるが、1992年12月、57歳という若さで斃れた。シャンソン界では、越路吹雪と二分していた人気は、「魅せる越路、聴かせる岸」と評価されていたという。
文=村澤次郎 イラスト:山﨑杉夫
アナログレコードの1分間45回転で、中央の円孔が大きいシングルレコード盤をドーナツ盤と呼んでいた。
昭和の歌謡界では、およそ3か月に1枚の頻度で、人気歌手たちは新曲をリリースしていて、新譜の発売日には、学校帰りなどに必ず近所のレコード店に立ち寄っていた。
お目当ての歌手の名前が記されたインデックスから、一枚ずつレコードをめくっていくのが好きだった。ジャケットを見るのも楽しかった。
1980年代に入り、コンパクトディスク(CD)の開発・普及により、アナログレコードは衰退するが、それでもオリジナル曲への愛着もあり、アナログレコードの愛好者は存在し続けた。
近年、レコード復活の兆しがあり、2021年にはアナログレコード専門店が新規に出店されるなど、レコード人気が再燃している気配がある。
ふと口ずさむ歌は、レコードで聴いていた昔のメロディだ。
ジャケット写真を思い出しながら、「コモレバ・コンピレーション・アルバム」の趣で、懐かしい曲の数々を毎週木曜に1曲ずつご紹介する。