私の生前整理 2018年4月1日号より
文=上野千鶴子
(社会学者)
女友だちとの遠慮会釈ないやりとり
おしゃれな女友だちが、周りに多い。 気の利いたものを身につけていると、 ただちに「それ、いいわね」と反応が来る。それに続けて「気に入ったわ、次はわたしにね」と来る。遠慮会釈なく「それ、しばらく着てていいわ」とのたまうお方もいる。ときどき「女遊び」と称して、お洋服の交換会やリサイクル市などをやっていたので、いずれ飽きたら放出してもらえるものと思っているらしい。
美しいもの、きれいなもの、かわいいものが好きだ。それがキライな女はいないと思う。仕事が世の中の問題や矛盾を暴き立てる社会学という性格のわるい専門なので、なおさらなのかもしれない。 美しいもの、きれいなものを身につけるとき、女に生まれてよかった、と思う。「だから、女は…」という手合いには、くやしかったらキミたちも身を飾ってみたまえ、と言いたい。人類が身を飾ってこなかった歴史はないのだから、女が男なみに身なりにかわまなくなるよりは、男が女なみに身なりに気をつけるようになるほうが、 ずっと文明的だし、そちらの可能性が高い。
「それ、いいわね。ちょうだい」 に、最近、新しい返し方を見つけた。「いいわよ、遺品にしておくわね」 …だから、わたしが早く死ぬように祈ってね、と言いたいわけではない。
あの人へ、遺品はあの世からの手紙
このところ知友が亡くなることが増えた。しばらく経ってから、ご遺族から「故人の遺品です」と送られてくることがある。時計や万年筆のような高価な品でなくても、故人が愛用していたこまごましたアクセサリーをセットにして送ってくださる方もある。傘やクッションを箱に詰めて送ってくださった方もあった。自分の趣味でなくても、大胆な猫柄のクッションや、あざやかなカラーの折りたた み傘などに、「そういえば、彼女、こういうのが好きだったわねえ。それによく似合ったわ」と故人を偲ぶ。そういう品のあれこれを身につけて外出すると、その日一日、故人がわたしを守ってくれるような気がする。遺品は護符でもあるのだ。
わたしは遺言状を書いて、遺言執行人も指名してある。遺品の整理はその方に任せてある。だが、いろいろある遺品を、関係者のそれぞれに振り分けて送る作業はたいへんだろう。それに人の好き好きもある。そんなことなら、「あれが好き」と気に入ってくれた友人に、この品はAさんに、あの品はBさんに、とあらかじ めリストを作っておけばよい。その人の好みやたたずまい、暮らしの流儀などを考えながら選んだ品が、亡くなってからご本人のもとに届けば、きっと「あの世 からの手紙」だと感じてくれるだろう。 「あら、覚えててくれたのね」と。
断捨離も整理もできないし、したくない。娘もいないのに、あまたの身の廻り品を残してあの世に旅立つ。たいしたものはないが、その全部をゴミにしたくはない。そのくらいの処理を友人に頼んでも、罰は当たるまい。
さて、そろそろリストを作ろうかしら。
うえの ちづこ
社会学者。1948年富山県生まれ。京都大学大学院社会学博士課程修了。1995年から2011年3月まで東京大学大学院人文社会系研究教授。11年4月から認定NPO法人ウィメンズアクションネットワーク(WAN)理事長。専門は女性学、ジェンダー研究。高齢者の介護問題にも関わる。『近代家族の成立と終焉』(岩波書店)で94年サントリー学芸賞、2011 年度朝日賞受賞。『みんな「おひとりさま」』(青灯社)、『ニッポンが変わる、女が変える』(中央公論新社)、『おひとりさまの老後』(文春文庫)、『おひとりさまの最期』(朝日新聞出版)、『ひとりの午後に』(NHK出版)他多数の著書がある。