◆特集コラム 劇団俳優座80年の役者たち Vol.8◆
2024年2月10日に創立80周年を迎えた「劇団俳優座」。劇団俳優座で活躍した名優たちをクローズアップしてお届けする。第8回は5期生の平幹二朗(1933年11月21日~2016年10月22日)。
平幹二朗は、広島県広島市小網町という映画館や芝居小屋がたくさんある街に生まれた。呉服商だった父親は平が生後9ケ月のときに亡くなる。平が小学校6年生の時、広島に原爆が投下され母は被爆したが、母親の実家に疎開していた平は無事だった。母は原爆の後遺症に悩まされながらもアメリカ人家庭のハウスキーパーなどをして平を育てた。幼い頃は祖母に連れられ杉村春子も通ったという「寿座」で新派などをみて育った。高校時代演劇部に頼まれて『夕鶴』に出演してから演劇に興味を持つようになる。雑誌の俳優座養成所紹介記事に惹かれ、4期生に応募したが二次試験で不合格。事務局に理由をきくと広島訛りが強いことだと言われたという。
母も一緒に上京し平は住み込みでアルバイトをしながら5期生の試験に挑み、見事合格した。同期には木村俊恵、今井和子、後に監督となる藤田敏八、脚本家のジェームス三木(中退)などがいた。56年『貸間探し』で初舞台を踏む。57年には千田是也主演のモリエール『タルチュフ』にも出演している。その後も田中千禾夫作、千田是也演出の59年『千鳥』、小沢栄太郎演出による64年『東海道四谷怪談』に出演し、スケールの大きさを感じさせる演技で、仲代達矢、加藤剛とともに俳優座の若手ホープと目されるようになる。
68年にはフリーになり、数々の映像作品にも出演している。特にテレビドラマではNHK大河ドラマ「樅ノ木は残った」「国盗り物語」「武田信玄」をはじめ7作品に出演するなど、大作ドラマの主演俳優としてのキャリアを重ねた。同時に、浅利慶太演出『アンドロマック』を皮切りに劇団四季の客員として『ハムレット』『狂気と天才』などに主演し、舞台俳優としての高い評価を得ている。
76年に蜷川幸雄演出『近代能楽集 卒塔婆小町』に出演して以来、『王女メディア』『近松心中物語』『NINAGAWAマクベス』『タンゴ・冬の終わりに』『テンペスト』『リア王』など、蜷川芝居の常連主演俳優として数多くの作品に主演し、海外公演でも賞賛された。舞台での受賞も多く、84年には『王女メディア』『タンゴ・冬の終わりに』で芸術選奨文部大臣賞、2001年には『グリークス』『テンペスト』で読売演劇大賞最優秀男優賞、05年に『ドレッサー』で紀伊國屋演劇賞個人賞、09年に『リア王』『山の巨人たち』で朝日舞台芸術賞アーティスト賞、読売演劇大賞最優秀男優賞、11年には『サド侯爵夫人』『イリアス』で菊田一夫演劇賞演劇大賞、12年には『エレジー』で文化庁芸術祭賞優秀賞などに輝いている。平幹二朗もまた、千田是也の俳優育成により、見事な花を咲かせた俳優であった。
弊誌「¿ Como le va?」では、2012年3月10日に14年ぶりの再演『王女メディア』(演出:高瀬久男)で全国101公演の最中、平にインタビューした。『王女メディア』との最初の出会いは、1973年、蜷川幸雄の演出によるもので平が40歳の時だった。声は男性のままで女性を演じる。当時は歌舞伎や新派以外で男が女を演じることはなく、好奇な目にさらされる覚悟で臨んだ作品だった。女優が演じるより強い表現をしようと腹をくくり、先駆者的な決意で臨んだ。海外公演の際に好評を得て、ギリシア公演の際には、「我々ギリシア人は、ギリシア悲劇をどう演ずべきかを日本人に教わった」とまで言わしめるほど高い評価を得た。その後再演を重ね、最後に演じたのが64歳のとき。それから14年後の78歳での再演だった。
──78歳という年齢には過酷すぎるわけです。ところがいざやりだすと体が勝手に動いてしまい、台詞も不思議なことに口からあふれ出るのです。そういう経験は初めてです。一人暮らしだと日常生活にも労力と時間を費やさなければならない。そんな中で老いと闘いながら舞台に立つ、実はその闘いが結構面白いんです──と心境を語っている。
16年10月23日、自宅の浴槽で倒れているのを息子の岳大に発見され、後に死亡が確認された。出演中のフジテレビのドラマ「カインとアベル」が遺作となった。出棺時には、『王女メディア』の劇中で使用されたヘンデルの「サラバンド」が流れた。享年82。