苅辺 伸一
箱根ハイランドホテル 支配人
コロナ禍を乗り越えるために
男爵にして、三井財閥の総帥であった團琢磨氏(1858~1932)の別荘として建てられ、ご子息の伊能氏がホテルに改築してスタートさせたのが「箱根ハイランドホテル」の始まりです。1957年5月25日、新緑の美しい日だったと言います。伊能氏は国内ばかりか世界の要人を迎えられる高級ホテルを目指しましたが、後、小田急電鉄株式会社のグループに入ります。「箱根ハイランドホテル」の名前は、伊能氏が好きだったイギリス北部の〝ハイランド地方〟に由来しています。因みに著名な音楽家の團伊玖磨氏は伊能氏のご子息です。
私のホテルマンとしてのキャリアは、芦ノ湖畔の「山のホテル」から始まり、一貫してレストランサービス部門を歩みました。その間、ポーラ美術館のレストラン部門の立ち上げやグループ関連のゴルフ場の支配人も経験しました。レストラン部門は不規則な勤務形態とはいえ、お客様と接する時間が一番長いですから、お客様の名前や好みを覚え、お客様からも名前を覚えていただけるという特権があって、だんだん楽しくなってきたものです。
東日本大震災、大涌谷の噴火、箱根登山鉄道の長期運休を余儀なくされた台風の襲来など、苦しい時期が続きましたが、昨年からのコロナ禍は箱根全町の灯が消えました。昨年4月7日に緊急事態宣言が発出され、いよいよ箱根町の電光掲示板には「神奈川県に来ないでください」というメッセージが出される始末。わがホテルも4月26日から5月いっぱい休業せざるを得なくなってしまいました。入社式を終え研修に入って2週間もしないうちに休業になってしまった新入社員は、お客様と接し実践で仕事を覚えていくことができません。社員同士の交流のイベントや集まりもできない状態で、スタッフのモチベーションを維持することに傾注しました。苦肉の策でしたが、新入社員にはねぎらいも込めてホテルのお客様になったつもりで宿泊し、朝夕の食事をゆっくり取り、温泉に浸かって、お客様目線でホテルを見る研修を体験してもらいました。
御常連様の気持ちに支えられ
由緒正しい箱根ハイランドホテルは、團家ゆかりのゲストから始まったこともあり、長年ホテルを大切にしてくださるお客様に支えられています。子供の頃に連れられて訪れてから、今でも来館される50年来のお客様や、年末年始や決まった季節に来館され翌年の予約を取って帰られるお客様も多いのが特徴です。ところが、Go to トラベルの2020年10~11月は、ホテル開業以来最高稼働でありましたが、今までのお客様の層が変わってしまい別の対応に苦心するという経験もしました。これまでの御常連のお客様離れもあったのです。そして年末年始、再びキャンセルが相次ぎ、2021年の正月は私が入社以来経験したことのない静けさでした。
御常連様から、「今は大変だから、もう少ししてから来るよ」と丁寧な連絡もあり勇気づけられ、「来たよ、助けに来たよ」と言って、2泊、3泊されるお客様もいます。そういうお客様に本当に助けられてきました。これこそハイランドホテルが60年以上続き愛されてきた証左です。そのことを常に意識して、スタッフたちとのコミュニケーションは、こんなことがあった、あんなことがあったという報告を常に密にしています。
私自身ももうすぐホテルマン生活40年を迎えます。けれども理想のマネージメントに到達したと満足はしていません。これからも追求して行かなければなりません。サービスおもてなしに終わりはありません。レストランや宿泊、それぞれのスタッフのおもてなしがパーフェクトを目指して日々の変化に対応し、もっと上質なもっと気持ちを込めてお客様に向き合う。それには、自分も含め、スタッフもいろいろなホテルを見たり泊まったりして体験することも必要でしょう。お客様が本当にハイランドは良かったと感じて、リピーターとなっていただき、さらに御常連になっていただくことは、簡単なことではないのです。
当ホテルのある仙石原は、昔は何もない所でしたが、今ではポーラ美術館、ラリック美術館、星の王子さまミュージアム、そして隣接の箱根ガラスの森美術館など、文化的施設も整っています。深秋の紅葉とあいまって金色に輝くススキの原の絶景は箱根旅の魅力ですが、渋滞に備えて道路も拡幅され、遊歩道の整備も進みました。仙石原の自然に触れ、大涌谷からの白濁の温泉に浸かり、文化芸術の里を巡る箱根旅を満喫していただくまで、もう少し我慢の時期が続くかもしれませんが、スタッフ一同力を合わせ乗り切って、笑顔でお客様をお迎えしたいと思っています。
箱根ハイランドホテル
[住] 神奈川県足柄下郡箱根町仙石原品の木940
[問] ℡.0460-84-8541