宮原 賢一
(箱根登山鉄道株式会社 取締役鉄道部長)
先達への畏敬の念
令和元年(2019年)、箱根登山電車の開業100周年に続いて令和3年12月1日に箱根登山ケーブルカーは、100周年を迎えました。日本では近鉄の生駒ケーブルカーに次いで2番目に古く開業は大正10年(1921年)。箱根登山鉄道の前身である小田原電気鉄道が強羅の土地を取得し、公園や別荘地、旅館などの用地として開発しましたが、この地は傾斜が急だったため、強羅から早雲山までの足としてケーブルカーを走らせることになったのです。その後昭和35年(1960年)には、早雲山から芦ノ湖畔の桃源台までロープウェイが開通し、箱根湯本から芦ノ湖までを種々の乗り物で結ぶ箱根ゴールデンコースが完成しました。ケーブルカーは、この箱根の周遊コースの一翼を担っております。
第二次世界大戦中から戦後にかけて公布された「金属回収令」で、砲弾などの軍需生産のために家庭のヤカンや洗面器から寺の鐘、公園の銅像まで、官民に鉄や青銅の供出が求められ、ケーブルカーも昭和19年には早雲山の建物を除く設備や鉄軌を供出し、昭和25年まで6年半ほど休止を余儀なくされました。また自然災害などの影響で苦難な時期もありましたが、100年を迎えることができたということはわれわれ鉄道マンにとって感慨深いことです。一世紀以上前に、先達が壮大な構想を実行してきたことを思うと、畏敬の念に堪えません。
箱根登山ケーブルカーは、標高541mの強羅と、標高750mの早雲山間の1.2㎞を、所要時間11分で走行します。その最大勾配は200パーミールで、角度にすると11度ほどになります。小田急線の成城学園前駅などは、35パーミールですから、約6倍も急な所を走っているわけです。運転室やモーター、制御装置といった設備は早雲山駅にあり運転士はモニターを見ながらケーブルカーの運転操作をしています。車両の先頭にいるのは運転士ではなく車掌で、前方の安全監視やドアの開閉の業務をしています。ワイヤーに引っ張られて動く車両は勾配に合わせて作ってあるので、車内に階段があることが、普通の電車とは大きく違います。私たちは乗降客の皆さんがホームや車内で転倒しないように、細心の注意を払い、日々の運行を続けています。
地元住民の足として
令和2年3月にデビューした5世代目のケーブルカーへの更新に合わせ、早雲山駅の建て替え工事を行いました。ケーブルカーでは日本で初めてとなる「昇降式ホーム柵」を乗降ホームに設置し、エスカレーターや多目的トイレを新設するなどバリアフリー化を推進しました。展望テラスや足湯のスペースもできて、新しい観光スポットにもなっています。2階にある「cu-mo箱根」では、お土産の品揃えも豊富で、ここでしか手に入らないグッズもあります。それまで早雲山駅は単なるロープウェイとの乗り換えの駅でしたが、箱根の山々と相模湾を眺めながら足湯に浸かったり、澄んだ空気の中でコーヒーをいただいたり、楽しいひとときを過ごすことのできる空間になりました。
箱根は広い範囲を、いろいろな乗り物を乗り継いで周遊できるという、他の観光地にはない魅力があります。新宿からのロマンスカー、急勾配を走る箱根登山鉄道、ケーブルカー、ロープウェイ、芦ノ湖の遊覧船など交通網が充実しています。また、大きなルートと結んで各施設への連絡もバスが運行し、温泉はもちろん多種多様な美術館、グルメに応える食事処も多いですから、目的によって何度来ていただいても楽しいところだと自負しています。その中でも、箱根は鉄道が通り駅があることによって、一本の背骨が通っている観光地であると言えます。
令和元年10月の台風被害によって箱根登山鉄道も大きな被害を受け、10カ月ほど運行ができませんでした。観光と共に沿線の人たちの足になっている登山鉄道は、住民の皆さんや学生さんの通学にも不自由をかけましたが、地元の函嶺白百合学園の生徒さんから千羽鶴や寄せ書きをいただき応援されて感激したものでした。運転再開した折には、高校三年生の時に乗ることのできなかった函嶺白百合学園の卒業生を特別列車にご招待しました。皆さん、喜んでくださったのは言うまでもなく、困難を超えて箱根が一丸となったのです。多くの方から声援をいただき、改めて箱根交通網の根幹の一翼を担っているという責任を感じたものです。
駅や施設はバリアフリーを施し、ご高齢の方、お体が不自由な方も安心して来ていただけます。そして何度来ても楽しい箱根です。皆さまのお越しを安全運転でお待ちしております。(談=文責編集部)
みやはら けんいち
平成6年小田急電鉄入社。主に鉄道施設の改良や維持管理などに従事。下北沢地区の複々線化プロジェクトを務めた後、平成31年(2019年)4月より、箱根登山鉄道株式会社 取締役。
箱根登山鉄道株式会社:https://www.hakone-tozan.co.jp/