常に自分と闘う
夏木マリさんが
水丸さんと出会った
第2号の表紙は自らをプレイヤーと称する夏木マリさんとイラストレーターの安西水丸さん。現在は年4回発行の季刊誌だが、第4号までは隔月刊で発行していた。今考えると少ないスタッフでよく発行できていたものだと、当時の追われるような仕事の日々を思い出す。夏木さんと水丸さんは互いにその存在はご存じだったものの、お会いするのは初めてということだった。夏木さんのお相手にはどなたがいいかと考えたとき、浮かんだのが水丸さんのイラストだった。このお二人なら面白い出会いになるのではと、まったく根拠のない確信だけで夏木さんに提案させていただいたところ、夏木さんも面白がってくださったのだ。水丸さんも二つ返事だった。
撮影は都内の以前はグランドキャバレーだったという昭和の面影が残る場所で実施した。毎回の撮影場所に関しては、撮影スタジオではない場所でと決めていた。夏木さんは赤いバラを2本持って現れた。1本は水丸さんに、そしてもう1本は私へのプレゼントだった。水丸さんは照れることしきりだったが、私は私で感激のあまり仕事を忘れるところだった。この号から、ご一緒していただいた男性に、お相手の女性について原稿を書いていただくことになった。水丸さんは夏木さんに宛て「今を生きる正しい日本の女」という原稿を書いてくださった。そして、夏木さんはきっと絵が描ける人だと、絵を描くことを夏木さんにさかんに勧めていた。表現者として日々ご自身と闘っている夏木さんも、この出会いを楽しんでくださったようだ。その水丸さんも2014年に鬼籍の人となった。私事で恐縮だが、水丸さんと私は一回り違いの同じ干支で、その年は年男だった。次の取材が終わったら乾杯しようと言ってくださっていたのに、実現することなく水丸さんは逝ってしまった。
岸惠子さんの登場で
昭和の銀幕女優シリーズが
確定した
第3号の表紙に岸惠子さんに出ていただけることが決定したとき、「コモレバ」の今後の表紙スタイルも確定した。男女のペアという案はそのままに、毎号、昭和の銀幕を彩った女優のみなさんに表紙を飾っていただくというもので、第20号までキラ星の如き、すばらしき女優のみなさんにご登場いただいた。「コモレバ」を愛読していただいている多くの読者の方々にも、この表紙スタイルで「コモレバ」を認識していただけるようになったようだ。当世の女性誌の表紙を飾る若い女優たちは、もちろん美しいが、昭和の映画を娯楽として育った世代にとっては、スクリーンで見ていた女優たちは美しさに加え、感動を与えてくれる存在であり、あの日あの時の青春の一ページを思い出す糸口でもあった。失礼ながら、すでに雑誌の表紙からは遠のいて久しかったが、「コモレバ」にとってはミューズのような存在で、ベールの向こうにいて微笑むまさしく高嶺の花、本物の女優たちだったのである。
岸惠子さんのお相手としてすぐに浮かんだのが〝リンボウ先生〟こと、作家で書誌学者の林望さんだった。岸さんのフランス流エスプリと、リンボウ先生のイギリス的ウイットが出会うと楽しいのではと直感したのだった。撮影場所は赤坂プリンスホテルの旧館で、クラシックな空間の中で、お二人は文豪と貴婦人というたたずまいだった。初対面ではあったが、それぞれのエッセイを読み合う、本を通しての交流はあった。『枕草子』『源氏物語』などで会話もはずみ、さながら知識人のサロンのような贅沢な空間が生れた。