和泉雅子は実は舞台にも数多く出演している。ここでは劇場別に思いつくまま紹介してみる。まず、東京宝塚劇場では73年に長谷川一夫主演の『或る夜の殿様』に有馬稲子とともに出演している。74年には京マチ子、片岡孝夫(現・仁左衛門)、中村翫右衛門ら共演の井原西鶴の『好色五人女』、76年には植木等、益田喜頓、伊東四朗、水谷良重(現・八重子)共演のコメディ『大江戸三文オペラ』と、日活映画では和泉雅子の活躍の場がなくなってきた時代と重なる。
同時期に帝国劇場の舞台にもたびたび出演している。75年に平岩弓枝が脚本を手がけた『鶴亀屋二代』では森繁久彌、京塚昌子、山岡久乃、堺正章らと共演。77年にはやはり平岩弓枝が脚本を手がけた『新・台所太平記』で十七代中村勘三郎、新珠三千代、京塚昌子、井上順、山本學らと共演。79年の小幡欣治作・演出の『女の園』では山田五十鈴、新珠三千代、岡田嘉子、中村勘九郎(後に十八代勘三郎)、吉田日出子らと。そして、80年、84年、96年にはドラマでも好評だった『女たちの忠臣蔵』を石井ふく子自身の演出で舞台化し、山村聰、草笛光子(大石りく役で、84年と96年にはテレビ同様池内淳子が演じている)、山田五十鈴、香川京子、大空眞弓、松原智恵子らとともに和泉も出演。日本舞踊の花柳流の名取であり、長唄、小唄、鼓も嗜み、合気道まで初段の和泉は、着物がよく似合う。そして、時代劇での所作や立ち姿が美しい。
78年の谷崎潤一郎原作、平岩弓枝の脚本・演出による『鍵』(新珠三千代共演)を皮切りに芸術座の舞台にも立っている。96年は池内淳子、長山藍子と三姉妹を演じた『おんなの家』、98年には竹下景子と共演の『お入学』、2001年には京マチ子、山田五十鈴と共演の『夏しぐれ』。いずれも石井ふく子が演出を手がけている。
紹介した三劇場以外でも数多くの舞台を踏んだ。長谷川一夫、十七代中村勘三郎、山田五十鈴、森繁久彌、京マチ子、新珠三千代など、日活時代には出会うことのなかった名優たちとの仕事は、和泉雅子の芸を大いに磨いたに違いない。和泉雅子は、いつのまにかしっとりとした情感をも醸し出す女優になっていた。
冒険家という肩書が先に立っているようだが、和泉雅子は確かに昭和の芸能史に刻まれる女優である。今年、和泉雅子のほかにも、いしだあゆみ、藤村志保、山口崇ら昭和40年代のテレビでぼくたちを楽しませてくれた人気者たちが旅立ったが、テレビに映った彼らの姿は今でも鮮明に浮かび上がってくる。久しぶりに、和泉雅子が日活時代に山内賢とデュエットした「二人の銀座」を聴きたくなった。
文=渋村 徹
※プロマイドの老舗・マルベル堂では、原紙をブロマイド、写真にした製品を「プロマイド」と呼称しています。ここではマルベル堂に準じてプロマイドと呼ぶことにします。
マルベル堂
大正10年(1921)、浅草・新仲見世通りにプロマイド店として開業したマルベル堂。2021年には創業100年を迎えた。ちなみにマルベル堂のプロマイド第一号は、松竹蒲田のスター女優だった栗島すみ子。昭和のプロマイド全盛期には、マルベル堂のプロマイド売上ランキングが、スターの人気度を知る一つの目安になっていた。撮影したスターは、俳優、歌手、噺家、スポーツ選手まで2,500名以上。現在保有しているプロマイドの版数は85,000版を超えるという。ファンの目線を何よりも大切にし、スターに正面から照明を当て、カメラ目線で撮られた、いわゆる〝マルベルポーズ〟がプロマイドの定番になっている。現在も変わらず新仲見世通りでプロマイドの販売が続けられている。
マルベル堂 スタジオ
家族写真や成人式の写真に遺影撮影など、マルベル堂では一般の方々の専用スタジオでのプロマイド撮影も受けている。特に人気なのが<マルベル80’S>で、70~80年代風のアイドル衣装や懐かしのファッションで、胸キュンもののアイドルポーズでの撮影が体験できるというもの。プロマイドの王道をマルベル堂が演出してくれる。
〔住〕台東区雷門1-14-6黒澤ビル3F
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