鮨 一條
人形町の老舗「六兵衛」で経験を積んだ一條聡さんが、平成27年に開店した。暖簾と統一された「鮨 一條」の文字は、平成28年に91歳で亡くなった書家の稲村雲洞さんの揮毫。「寿司はシンプルな食べ物で、奇をてらうものではありません。勉強で寿司を食べに行きますが、次の日に記憶に残るものは少ないですね。何か一つでもインパクトのあるものをお客さんに残したい。それが自分自身のことでも」と、一條さん。長崎から出張の度に寄る客や、わざわざ虎ノ門からランチを食べに来る客もいるという。そういう客のために、昼も夜とおなじ魚を揃えておくそうだ。
酢飯は赤酢を使い、シャリに温かみがある。芝海老のおぼろをかませたかんぴょう巻きと焼いた穴子に、タレと塩の一皿はまさに〝一條流〟。昼は、握り7 貫と巻物3切お吸い物がつく。
〔住〕中央区東日本橋3-1-3 〔問〕03-6661-1335
吉野鮨本店
日本橋高島屋の真裏の通りにある𠮷野鮨本店は、明治12 年の創業。庶民が愛した屋台寿司からスタートして、現在は5代目の𠮷野正敏さんが伝統を受け継ぎ暖簾を守る。明治の頃は赤身が中心で脂身は使われなかったが、最初に使ったのがこの店だ。大正に入って2 代目の頃、食べたらトロっとした味で、「トロ」と名付けられたという。特に3 代目の祖父が様々な記録を残しており、5 代目正敏さんはよくそれを読み学んでいるという。1 階は、カウンター12 席と、テーブル3 卓、掘りごたつ式2卓があるが、「カウンターとテーブルどちらも同じです」という意味で、高さが同じ。ランチは、7貫と巻物3 切が一番人気だ。ちらしずしとろにぎり、鉄火重、とろ鉄火重などがある。
〔住〕中央区日本橋3-8-11 〔問〕03-3274-3001
㐂寿司
初代油井㐂太郎の名から、「㐂寿司」とし、大正12年関東大震災直後の12月に開店した。「高松宮・妃両殿下当店に御光臨の栄を賜る」と書かれたモノクロの写真が格式を感じさせる。厚みが10㎝以上、6mもある檜のカウンターは戦前からのもので、手入れが行き届いていて清潔だ。開店当時から氷を使った木箱が冷蔵庫として使われている。氷で冷やすと魚が乾燥しないのだという。4 代目の油井一浩さんの寿司屋巡りは地方の老舗。「まず雰囲気を見ます。地方にも地魚がありますが、魚は東京が一番です。今の季節は、はまぐり、みるがい、かつお、ぶり、まぐろがおいしい」と。とはいえ温暖化の影響か魚自体が少なくなっていることと、あるべき時にその魚がないことを憂いている。ランチは、寿司8種類巻物3切、ちらし寿司、バラちらし、おまかせ寿司11種類もある。1 階はカウンター12席、テーブル1卓とお座敷、場所柄、土曜日には家族連れや夫婦が多い。
〔住〕中央区日本橋人形町2-7-13 〔問〕03-3666-1682
寿司処 銀座ほかけ
昭和12年の創業時は慶應義塾大学の近くに店を構えだが、昭和23年に銀座三越裏に移転。平成19年の再開発計画によって現在地に移転を余儀なくされた。3 代目矢﨑桂さんはこの時70歳を間近にし、店を畳むことも考えたが娘の馨子さんが一念発起。贔屓の客の声援もあって、桂さんが使いなれた前のお店と変わらない環境づくりを施し、体のリズムを壊さないことを心がけてほぼ1年がかりで再開店。魚の脂がしみこんだ檜のカウンターもそのまま引っ越してきた。体の一部のように手早く動く包丁さばきに見とれていると、食べてしまうのがもったいないような〝ばらちらし〟があっという間に出来上がった。海外へ向かう機中の食事としてわざわざ買いに来る人もいるという。店主自らブレンドしたお茶も香ばしく美味しい。カウンター9 席と個室が1 室。寿司職人の矜持を頑なに守る桂さんを馨子さんと店員の香代さんが支える。温かいおもてなしが伝わる店だ。
〔住〕中央区銀座4-10-6 銀料ビル1F 〔問〕03-6383-3300