2015年7月1日号「街へ出よう」より
明治時代から学生の街だった神田周辺には本屋が集まり、神保町界隈は、世界でも最大級の古書店街になった。
古書街の中には、今なお昭和の面影を残すレトロな建物もあり、それぞれの書店はジャンルに特徴を持たせて好事家ならずとも読書人を楽しませてくれる。
本を眺めながら、ぶらりと書店のはしごをしてみれば、新しい発見があり、気難しそうな店主に勇気を出して話しかけると、その知識の豊富さに感動し、「知」をいただいた気分に浸れる。
神保町 古書店街散歩
~古今の典籍から漫画まで、知的好奇心にそそられて~
文・太田和彦
古書店巡りこそ世界に誇れる知的な趣味
神田神保町は中高年男性に人気の町だ。安くておいしい洋食や中華、昔ながらの老舗喫茶店、気軽なビヤホール、往年の日本映画を上映する神保町シアター。昔から学生と出版社の多い町柄は、夜よりは昼主体の健全さをもち、時代の先端とはちがうノスタルジックな雰囲気が安心感を生む。
その中核が今およそ180軒が軒を連ねる、世界一とも言われる古書店街だ。通りの片側だけに店が並ぶのは陳列本を直射日光で焼けさせないため。一冊100円の店頭ワゴンにおじさんが立ち止まって品定めしているのはおなじみの光景だが、そういえば古書店に女性を見たことがないな。
新刊書店でながい時間、立ち読みするのはルール違反だが、古書店は「どうぞじっくりと」。これはとても良いことだ。よく言われるが、ネット検索は知りたいことしかわからないが、知識や教養は「自分の知らない世界」に出会ってこそ豊かになり、新しい興味を生み出す。書店の棚に並ぶ背表紙を目で追えば「こういうことが本になっているんだ」「昔なにかで気になっていたのはこれか」と関心が横に広がり、その興味が興味を呼ぶ棚作りが書店員の腕の見せ所。ネットでものを知った気になっていてはいけませんぞ。
学者だけが通うのではない、普通の人の古書店巡りはまことに知的な趣味で、日本人の知的関心の高さとして世界に誇れるものではないか。司馬遼太郎や井上ひさしは「トラック一杯」買ったそうだが、神保町はそういう古今の典籍からサブカルチャーの漫画までそれぞれに専門分野を持つところが一般書店とはちがい「そういう本ばかりがいっぱいある」うれしさになる。
眼福を味わう楽しみ、わが蔵書の値を知る興味
私が行くのは映画本の書店だ。映画・演劇・演芸・戯曲・シナリオ専門の「矢口書店」はおなじみだ。たまにはショーウインドーを見てみよう。お! 高峰秀子の草稿がある。わが「聖なる」大女優の直筆を見るのは初めてだ。原稿用紙に題「私の転機」、枡目の左側にきれいに寄せたやや右肩上がりの鉛筆文字は知的で、そうであってほしい私のファン心を喜ばせた。200字詰8枚/100,000円は当然でしょうナ。買えないけど眼福。
棚の並びはだいたい知っている。『黒澤明映画大系1どですかでん』(キネマ旬報社/定価1,000円)はペン字署名入りゆえ30,000円はさもありなん。以前から買おうか迷っている『日本の映画音楽史1』(秋山邦晴/田畑書店/定価3,500円)古書価格10,000円はまだある。
これは邪道ですけれど、自分の蔵本が今、古書価格でいくらしているのかも興味がわく。お、『ヒーローの夢と死―映画的快楽の行方』(渡辺武信/思潮社/定価2,000円)が出たな、どれどれ7,000円か。これはなかなか良い内容だったから、それが評価されたようでうれしい。私の蔵書は著者サイン入りだから売れるかもな。『B級巨匠論 中川信夫研究』(川辺修詩/静雅堂/1,800円)は2,500円か、解ってるナ。『唄えば天国 ニッポン歌謡映画デラックス』(メディアファクトリー/天の巻・地の巻/2冊定価計3,200円)が揃いで4,000円は値打ちだ。
買った本を開く喫茶店の至福のとき
別棚は映画雑誌のバックナンバーだ。今を去る五〇年前の学生時代から、なけなしの金で購読を続けた雑誌『映画芸術』『映画評論』こそわが映画教養の基礎となった。資生堂にデザイナー入社したばかりの一九七一年、古い映画を観に行った京橋の国立近代美術館フィルムセンターで当時の『映画評論』編集長・佐藤重臣さんを見かけ、思い切って「私に表紙のデザインをさせてください」と直訴。デザイン料千円で一年間やらせてもらったことがあった。それもある、うれしいなー。1冊700円です。おっといけない、値踏みに来たのではない。
さて買うぞ。思案のあげく『女優一代』(水谷八重子/読売新聞社/定価700円)を500円で。『銀幕のインテリア』(渡辺武信/読売新聞社・定価1,700円)を500円で。『古本屋シネブック漫歩』(中山信如/ワイズ出版/定価3,800円)を2,700円でゲット。これを持って神保町の喫茶店に入り、コーヒーを飲みながらページを開くのが、また至福のとき。