散歩は、街を一冊の本のように読むことだ。だから、スマホでの撮影は、読書感想を忘れないための、メモ書きみたいなものなのだ。この「スマホ散歩」を読んでくれた人が、それぞれの街を読書し始めたらとても嬉しい。何か楽しい風景に出会えることを願っている。
第45回 2024年1月25日
20代の頃、
「どうせこの世に生まれたのだから、地球に自分の爪跡を残したい」
と言い続けた友人がいた。一冊自分の本を出版したいと夢見ていた。残念ながら爪跡は残せず病死した。
40代の頃に知り合った人から、頻繁に後楽園ホールでのボクシングの試合に誘ってもらった。汗や鼻血が飛んでくるリングのすぐ前の席で、年間押さえているという。彼が言うには、
「マットに残っている血痕を見て、誰の試合だったか言えなければボクシングファンじゃない」
と言った。
確かに、マット上には激闘の痕跡が、星座のように浮かんでいた。そんな彼も付き合い始めて数年で病死してしまった。
だからかどうか、私は、街の至る所に残されている痕跡が気になって仕方がない。すぐ足を止めて撮影したくなる。残された痕跡が何かを物語っているように思えてならないのだ。生活の、憎しみの、結婚の、恋の、失意の、希望の、喪失の、夢の、再起の、決意の…思い出の痕跡に思えてならないのだ。
はぎわら さくみ
エッセイスト、映像作家、演出家、多摩美術大学名誉教授。1946年東京生まれ。祖父は詩人・萩原朔太郎、母は作家・萩原葉子。67年から70年まで、寺山修司主宰の演劇実験室・天井桟敷に在籍。76年「月刊ビックリハウス」創刊、編集長になる。主な著書に『思い出のなかの寺山修司』、『死んだら何を書いてもいいわ 母・萩原葉子との百八十六日』など多数。現在、萩原朔太郎記念・水と緑と詩のまち 前橋文学館の館長、金沢美術工芸大学客員教授、前橋市文化活動戦略顧問を務める。 2022年に、版画、写真、アーティストブックなどほぼ全ての作品が世田谷美術館に収蔵された。