いわゆる‶農場オープン〟は、東宝が所有する所外オープンセット用地。『七人の侍』(54年)撮影時には、ここに侍探しの町が作られている。撮影所の南方、大蔵の高台(大蔵五丁目20番)にあり、敷地は六千百五十坪の広さを誇る。ちなみに、よく誤解されることだが、同作の決戦の村が作られたのは、ここではない(註2)。
『七人の侍』では、勘兵衛らが泊る木賃宿や平八が薪割りをする茶屋、久蔵が決闘を行う六角堂などが印象に残るが、『ゴジラ』では、ゴジラが襲った大戸島の被災地の模様が当オープンにて撮影。緩やかな傾斜地であることから、『七人の侍』や『赤ひげ』(65年)では、この勾配が巧く利用されている。
ちなみに、当地は一時、税金の滞納により差し押さえ物件となるが、『七人の侍』と『ゴジラ』のヒットもあってか、1951年には買い戻されている(登記簿の記載による)。以降、東宝はこの地を手放さず、現在建つ集合住宅施設「コモレビ大蔵」は、もちろん東宝の所有物件である。
他には、稲垣浩監督の時代劇『宮本武蔵』(54年)で三船・武蔵が沢庵和尚から杉の大木に吊るされるシーンが当オープン南側の崖下(当時は東名高速などなかった)で撮影されたほか、『無法松の一生』(58年)で三船・松五郎が祇園太鼓を叩く小倉の町、『忠臣蔵 花の巻・雪の巻』(62年)の江戸の町、黒澤映画では『蜘蛛巣城』(57年)と『隠し砦の三悪人』(58年)の城郭、『用心棒』(61年)の宿場町・馬目の宿、『赤ひげ』の小石川養生所などのセットが当オープン用地に作られている。
どなたにも印象深いのは、『隠し砦の三悪人』に登場する陥落した秋月城であろう。捕らえられた又七(藤原釜足)と太平(千秋実)が暴動に巻き込まれ、命からがら逃げだすシーンはここで撮影。当地の高低差を巧く生かしたセットづくりに驚嘆するほかない。また、『用心棒』の馬目の宿は、のちに開通する東名高速道路側に作られているので、勾配は全く感じられない。当時、このセットを目撃した知人の話では、やはり周囲に塀や囲いなどはなく、見学し放題だったとのことだから、なんとものどか(註3)。美術の村木与四郎氏によれば、『赤ひげ』でおなか(桑野みゆき)が地震で倒れた家々を歩くシーンは、残っていた『椿三十郎』(62年)の武家屋敷を倒壊させて撮ったものだというから、これまたビックリである。