人生百年時代――とはいえ、老いさらばえて100歳を迎えたくはない。
健康で生気みなぎるような日々を過ごせてこそ、ナイス・エイジングだ!
西洋医学だけでなく東洋医学、ホメオパシー、代替医療まで、
人間を丸ごととらえるホリスティック医学でガン治療を諦めない医師、
帯津良一の養生訓は、「こころの深奥に〝ときめき〟あれ」と説く。
帯津良一・87歳のときめき健康法
文=帯津 良一
1959年9月26日に潮岬付近に上陸した伊勢湾台風が関東地方を抜けたのが9月27日。その日の夕方、それほど強くはなかったが東京もそれなりの風雨に揺れていた。
当時、私は医学部の3年生。西片町に下宿していた。馴染みの店で夕食を済ませて、帰って来ると下宿の近くの大通りの一角に小さなバーが開店している。表に立て掛けられた花輪が雨に濡れていて、明かりのついた店内からさんざめきが聞こえて来る。
「はて? こんな処にバーが!」
といささか興味を抱きながらもその日はそのまま帰宅。「バー・フローラ」の開店である。
2~3日して訪ねてみた。こぢんまりした店内である。カウンターの7席のみ。カウンターのなかにはママさんとアルバイトの女性が一人。東京大学附属の看護学校の学生さんだという。ママさんは20代の後半。才色兼備の女性である。一度で気に入ってしまった。
それからせっせと通うようになる。飲み物はもっぱら一杯50円のトリスのハイボール。お客さんは近所の人が少しと、多くは東京大学の学生さんと職員の人。カウンターがすでに満席になって後ろで立ち飲みしている人も珍しくない。
人気の中心はなんとってもママさんだ。美人にして端正な色気がある。そのうえ記憶力が抜群である。一度来たお客さんのことはかなり細部まで正確に覚えている。お客さんにしてみれば、自分だけが関心を持たれていると思い、悪い気はしない。
そのうち店内が混んでくると、ママさんが、
「帯津さん。二階に行って!」
と言う。二階のママさんの部屋に行って飲んでいてくれと言うのである。私は他のお客さんの羨望のまなざしの中をハイボールのコップを持って二階に上がったものである。ママさんの色気を感じつつ、鏡台の前に坐って一人杯を傾けるのもなかなか乙なものであった。連れがあればまた異なった風情がある。
大学を卒業して医者になってからもバー・フローラ通いは続く。勤務地によってその頻度は変わっても、40年にわたって通い続けたものである。その間彼女はくも膜下出血のために私の勤務していた都立駒込病院で手術を受けたり、私たちの中国の揚州への旅に参加して生涯只一度の海外旅行を経験しながら、70歳を超えての引退を前に突然の急性腹症によって幽明界を異にする。
男泣きに満ちた葬儀の会場で数少ない女性客の一人から、
「ママさんはお客さんのなかで誰をいちばん好きだったと思います? 先生よ!」
と言われて、万感胸に迫ったものである。
おびつ りょういち
1936年埼玉県川越市生まれ。東京大学医学部卒業、医学博士。東京大学医学部第三外科に入局し、その後、都立駒込病院外科医長などを経て、1982年、埼玉県川越市に帯津三敬病院を設立。そして2004年には、池袋に統合医学の拠点、帯津三敬塾クリニックを開設現在に至る。日本ホリスティック医学協会名誉会長、日本ホメオパシー医学会理事長著書も「代替療法はなぜ効くのか?」「健康問答」「ホリスティック養生訓」など多数あり。その数は100冊を超える。現在も全国で講演活動を行っている。講演スケジュールなどは、https://www.obitsusankei.or.jp/をご覧ください。