一方で『コミック雑誌なんかいらない!』(1986)で、おニャン子クラブの撮影のサポートをしたことで、滝田洋二郎監督と出会った。『痴漢電車シリーズ』(1982~1985)も観ていたので、いつかコメディ映画を御一緒したいと思っていた。制作会社メリエスから、コメディ企画・滝田洋二郎監督・一色伸幸脚本の『木村家の人びと』の話が持ち込まれた。『私をスキーに連れてって』等、ホイチョイ三部作のシナリオはすべて一色氏が書いてくれたが、『木村家の人びと』(1988)は、より本領発揮出来ること間違いなしと感じた。社会性もあり、シニカルな笑いもうってつけだ。
それでも『誘惑者』も何とかしたい。ここで成立しなければ、映画化出来ないだろうとも。
『私をスキーに連れてって』(1987)の公開から1ヶ月後の12月に<シネスイッチ銀座>はスタートすることが決まった。時間がない中で森田芳光監督や岡部まりさん、いとうせいこう氏、林海象監督、永千絵さんらが応援団として参加してくれ、パンフレットへの寄稿や、自らの関係するメディアで盛り上げ隊として協力してもらった。
日本映画からスタートしたい気持ちもあったが、到底間に合わなかった。最初の邦画となる『木村家の人びと』が1988年の年明け早々のクランクインだった。
シネスイッチでの上映第1作『あなたがいたら/少女リンダ』(1987/12/19公開)と命名したイギリス映画は、興行的には芳しくなかった。最低でも6週以上の興行を予定していたが……。とても良作だが地味過ぎたのか。この洋画がヒットしてくれれば、次は『木村家の人びと』が登場し、交互に〝邦洋〟といきたいところだが、最初が躓いたので2弾目も洋画となった。この作品の上映には賛否あったが、スタートすると『モーリス』(1988/1/30公開)はスマッシュヒット。この作品のお陰で5月公開の『木村家の人びと』まで上映は続いた。