1981年にフジテレビジョンに入社後、編成局映画部に配属され「ゴールデン洋画劇場」を担当することになった河井真也さん。そこから河井さんの映画人生が始まった。
『南極物語』での製作デスクを皮切りに、『私をスキーに連れてって』『Love Letter』『スワロウテイル』『リング』『らせん』『愛のむきだし』など多くの作品にプロデューサーとして携わり、劇場「シネスイッチ」を立ち上げ、『ニュー・シネマ・パラダイス』という大ヒット作品も誕生させた。
テレビ局社員として映画と格闘し、数々の〝夢〟と〝奇跡〟の瞬間も体験した河井さん。
この、連載は映画と人生を共にしたテレビ局社員の汗と涙、愛と夢が詰まった感動の一大青春巨編である。
21世紀間近の1999年。この前後はアジアに、といっても韓国、中国、台湾、香港がメインだが数十回行ったり来たりの日々になった。
エドワード・ヤン監督と会えたのも『スワロウテイル』の台湾公開キャンペーンで、たまたま台北でお会いできたからである。初対面なのに「カンヌ国際映画祭のコンペティションでパルムドールを目指す映画を一緒にやりましょう!」というと、「やろう!」と。
『LoveLetter』『スワロウテイル』『リング』等が各国で上映になり、プロモーションで海外へ行くことも多かったが、Y2Kなど2000年を起点とする問題が話題になったり、これからの日本、アジアはどうなっていくのだろうというような会話が増えた時期でもあった。
『スワロウテイル』の次の岩井俊二監督の新作は何か? を問われることもしばしばで、今度は、より国際的というか、海外でも話題となる映画を目指していた。
当時の企画書を見ると、岩井俊二、エドワード・ヤン、ウォン・カーウァイの3人の監督がアジアから21世紀に向けて放つ、長編映画3本。オムニバスではなく、競作というのでもない。
テーマだけは「アジアの監督たちが、21世紀に変わる今、何を考えるか……」のような話になり、理工系のエドワード・ヤン監督がY2Kの「バグ(プログラムの誤りや欠陥)」をモチーフにしたらどうか……の流れで一旦は「Y2Kプロジェクト」と名付けてスタートした。エドワードは1ドル札と1セントのコインを前に出し「この2つに共通する書かれている文字は何か?」と言われ皆ポカンとしたが、すべてのお札、コインに「In God We Trust」とある。彼が「お金にも【神様】を入れておかないと信じあえない……」という話になり、全体のタイトルは「In God We Trust」になった。流石にアメリカの大学で計算機工学を学んだ人で、「アジア人はお札やコインに神の文字は入れないよね」これが映画全体のコンセプトにもなった。
製作費は主に日本で、各監督同様を考えたが、そんなに簡単には行かない。まず、ウォン・カーウァイ監督が脱落。シナリオを書かない、ストーリーもプロデューサーには見せない……など彼独特のやり方について行けなかったこともあった。その後、香港の俳優に聞くと、スタンリー・クワン監督と仕事をしたい女優が多く、僕も彼の『ロアン・リンユイ 阮玲玉』(1991香港)が好きだった。マギー・チャンがベルリン国際映画祭主演女優賞を獲得している。そんなこともあり、台湾出身のスー・チーやマカオ出身のミッシェル・リーらが参加してくれることとなる。
1998年9月24日。釜山。第三回釜山国際映画祭でこの3人の監督と共に、雛壇に並び、製作発表を行った。本当は韓国の監督も考えたが、それ以前の韓国では日本映画の公開も微妙であり、日本、香港、台湾の監督にした。それでも、大好きな釜山映画祭には1回目から参加しており、その場所で発表を行いたかった。
ここからまたハプニングが起こる。企画内容、製作費など色んな要因はあるが、岩井俊二監督が、まさかの脱落。元々、岩井監督の次回作を模索しているところからスタートして、日本のテレビ局も参加予定だった。ただ、岩井監督がいないと企業としては大きく目論見が違ったこともあり、数社はフェードアウトになってしまった。僕の読みも甘かったと言える。残された、香港と台湾の監督。スタンリーの『異邦人たち』には日本から大沢たかおさん、桃井かおりさんの参加も決めていた。資本を立て直し、ポニーキャニオン、オメガ・プロジェクト、博報堂が残ってくれた。感謝である。