さて、戦後満州から引き揚げた森繁が住ったのは、東京都下の狛江。これは役者稼業などしていては大阪の実家には戻れないと悟った森繁が、妻の親戚を頼ってのものだった(※1)。やがて古巣の東宝(菊田一夫)から声がかかり、衣笠貞之助監督『女優』(47)の小さな役に抜擢。ムーラン・ルージュ(※2)での活動を経て、『腰抜け二刀流』(50)以降、主演作が増え、収入もそれなりにアップした森繁が自宅を建てたのは世田谷の船橋であった(※3)。
森繁邸の、まさに隣に位置したのが東京映画のスタジオである。駅前シリーズの他、豊田四郎や川島雄三監督の文芸作がここで撮影され、森繁の痴呆老人ぶりが話題を呼んだ『恍惚の人』(73)では、撮影所近くの環状八号線で大がかりなロケが実施された。
息子の嫁・高峰秀子が、環八を徘徊する森繁を砧二丁目から八幡山までタクシーで追跡するシーンは、まるで刑事アクションのごとし。このとき59歳だった森繁は、しつこい豊田の演出に辟易しながらも、悠々と危険なシーンをこなしている。
そして森繁は、『暖簾』(58)や『青べか物語』(62)などで組んだ川島を「この人が一番立派」と高く評価する。『喜劇 とんかつ一代』(63)の主題歌も忘れがたい味をもつが、怪作『グラマ島の誘惑』(59)で森繁が演じた皇族役など、いったい他の誰にこなすことができようか。川島が撮った駅前シリーズを見たかったのは、決して筆者のみではないはずだ。
相性が良かった松林宗恵、「大好きな映画ばかり」と振り返る久松静児の他、数多の名匠・巨匠と組んだ森繁。「どの監督のことを評価していたか」と子息の建氏に問うと、真っ先に出たのがマキノ雅弘のお名前。自著でも「この師匠から(映画のコツを)盗むだけ盗んだ」と語っており、『次郎長三国志』の森の石松は、やはり森繁にとっては特別なものだったのだろう。マキノも、‶石松〟は森繁が「是非に」と願い出てきて実現した役だったと証言しており、乗りにノッて演じた役だったことが窺える。道理で森繁は、『七人の侍』の人足役など見向きもしなかったわけだ(※4)。
黒澤作品には縁がなくとも、まさに〝東宝の顔〟と言うべき存在に登りつめた森繁。あの大俳優・丹波哲郎でさえも、「私が今でも尊敬するのは森繁さん。あんな器用な人はいない。あの人の器用の中にはハートがある」と最大限に評価する。「東宝スタジオの入口に鎮座すべきは、ゴジラじゃなくて森繁久彌でしょう!」と建氏が力説するのも、誠にごもっともなことである。
怖いものなどなかったであろう森繁に、説教した俳優がいる。『サラリーマン忠臣蔵』(60~61)撮影時、いつものように一人、遅れてステージ入りする森繁をスタッフの前で叱ったのは、誰あろう世界のミフネ! 普段から「親爺」と呼び、趣味の鴨撃ちを共にする(それも真面目人間の)三船敏郎だからこその進言であったろう。
権威を振りかざす監督たちには徹底して反発した森繁。巨匠・溝口健二については、そのワガママぶりを「子供と同じ」と批判、撮影現場で揉めた加藤泰に対しては、ローアングル・スタイルを「小津の真似」と揶揄したりもしている。
建氏は父を「私生活では決して苦労人とは言えず、がつがつしたところのない人」だったと振り返るが、森繁は〝反骨の士〟だったからこそ、東宝からも一目置かれ、あれだけの評価や尊敬を受ける名優になり得たのではないか。筆者には、そう思えてならない。
ちなみに森繁は、斎藤寅次郎と成瀬巳喜男の作品には、一本も出ていない。‶喜劇の神様〟のナンセンス・コメディや、松竹で「小津は二人要らない」と言われた成瀬映画に、果たして森繁はどんな態度で臨んだのだろうか。
※1 家の傍には泉龍寺という寺があり、寺の地所にはのちに黒澤明が住む。
※2 劇団での稼ぎは酒代で消え、家計を支えたのは妻の内職収入。「頼りにしてまっせ」を地でいく森繁は、終電の経堂から線路を歩いて帰るのが常だったという(建氏談)。
※3 収入が増え自宅を建てたのは良かったが、税金のことを失念していた森繁。翌年には家具という家具に「差し押さえ物品」の紙が貼られてしまう(同前)。
※4 森繁の代わりを演じた俳優等については、拙著『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)を参照されたい。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。