そこに『水の旅人 侍KIDS』(1993/原案・原作は『雨の旅人』著:末谷真澄)の企画の話が舞い込む。『時をかける少女』(1983)の大林監督にはピッタリのファンタジー企画。久石さんも音楽監督を引き受けてくれた。これも東宝系の夏の大作。メインテーマは、まさにロンドンフィルでスターウォーズ並みのフルオーケストラだ。
シナリオを創り、大林監督にオファーした。「やりましょう! ただ、脚本は自分が潤色しながらで……」この「潤色」の意味をあまり理解していなかった(自分が)ことが現場を混乱させ、大幅な撮影日数超過。映画の撮影、ポスプロが遅れてしまい、久石さんに大迷惑をかけてしまう。
テレビドラマなら、メインテーマと幾つかの音楽を事前に作っておけば、編集しながらはめていける。久石さんはフィルムの1コマ1コマに合わせて音を創るので、編集が終わらないと作業が始められない。公開の直前まで監督が編集をやっていたせいもあり、久石さんの音楽制作の時間がほとんど無くなってしまうことに。今、考えれば、プロデューサーであるぼくの未熟さが露呈してしまったと言える。興行収入は約40億円の大ヒットになり、フジテレビ、東宝としては喜んでいたのだが……。
ケガの功名ではないが、あまり主題歌に縁のない久石さんに「今回は是非!」とお願いし、中山美穂が歌う「あなたになら…」の作曲をしてもらった。これが無ければ後の『Love Letter』(1995)も誕生しなかったことを考えると、久石さんには感謝しかない。

何十回も会い、長い間付き合ってもらった久石譲さんとは、この2作品しか映画の音楽をやってもらっていない。『病院へ行こう』(1990)を観たあとに「自分ならこういう感じの音楽にしたいね」などの様々な話をした記憶がある。その後、滝田洋二郎監督と久石譲さんは『壬生義士伝』(2002)、そして『おくりびと』(2008)で作品はアカデミー賞外国語映画賞のオスカーに輝く。
大林宣彦監督ともう一度、と思っていたこともあったが亡くなられてしまい、今は、滝田洋二郎監督&久石譲音楽監督の映画を世界に向けて誕生させたいという希望はある。
先日、『Love Letter』4K初号に立ち会った。公開から30年、中山美穂さんは亡くなってしまったが、4月から日比谷東宝シネマズほか全国で上映がスタートする。1995年3月公開時はシネスイッチの単館公開映画だったが、30年後に全国で再び上映が出来ることは幸せである。この映画も映像と音楽が見事にマッチしていた。
かわい しんや
1981年慶應義塾大学法学部卒業後、フジテレビジョンに入社。『南極物語』で製作デスク。『チ・ン・ピ・ラ』などで製作補。1987年、『私をスキーに連れてって』でプロデューサーデビューし、ホイチョイムービー3部作をプロデュースする。1987年12月に邦画と洋画を交互に公開する劇場「シネスイッチ銀座」を設立する。『木村家の人びと』(1988)をスタートに7本の邦画の製作と『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)などの単館ヒット作を送り出す。また、自らの入院体験談を映画化した『病院へ行こう』(1990)『病は気から〜病院へ行こう2』(1992)を製作。岩井俊二監督の長編デビュー映画『Love Letter』(1995)から『スワロウテイル』(1996)などをプロデュースする。『リング』『らせん』(1998)などのメジャー作品から、カンヌ国際映画祭コンペティション監督賞を受賞したエドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(2000)、短編プロジェクトの『Jam Films』(2002)シリーズをはじめ、数多くの映画を手がける。他に、ベルリン映画祭カリガリ賞・国際批評家連盟賞を受賞した『愛のむきだし』(2009)、ドキュメンタリー映画『SOUL RED 松田優作』(2009)、などがある。2002年より「函館港イルミナシオン映画祭シナリオ大賞」の審査員。2012年「SKIPシティ国際Dシネマ映画祭」長編部門審査委員長、2018年より「AIYFF アジア国際青少年映画祭」(韓国・中国・日本)の審査員、芸術監督などを務めている。また、武蔵野美術大学造形構想学部映像学科で客員教授を務めている。