今でもスタジオ入口に『七人の侍』と『ゴジラ』の壁画を掲げる東宝。〝明るく楽しいみんなの東宝〟を標榜し、都会的で洗練されたカラーを持つこの映画会社は、プロデューサー・システムによる映画作りを行っていた。スター・システムを採る他社は多くの人気俳優を抱えていたが、東宝にもそれに劣らぬ、個性豊かな役者たちが揃っていた。これにより東宝は、サラリーマン喜劇、文芸作品から時代劇、アクション、戦争もの、怪獣・特撮もの、青春映画に至る様々なジャンルに対応できたのだ。本連載では新たな視点から、東宝のスクリーンを彩ったスタアたちの魅力に迫る。

本連載第11回で触れた恐怖映画『マタンゴ』(63)は、東宝映画ファンに大きなショックを与えた。その先駆けとなった怪奇空想科学映画シリーズで、いわゆる〝変身人間〟を演じたのが中丸忠雄と土屋嘉男の両バイプレーヤーである。
シリーズ第一作(※1)となる『美女と液体人間』(58/本多猪四郎監督)では複数の人間が液体人間化していくが、二作目の『電送人間』(60/福田純監督)では中丸忠雄が軍隊時代の恨みを晴らすため、物体電送機を操って殺人を繰り返す電送人間に扮した。
ラストシーンで見られる電送人間のおぞましい死に様は、子供にはあまりにも恐ろしく、生まれて初めて色付きの夢を見たほど。円谷特撮=合成技術の力も借りてのことだが、まさに〈滅びの美学〉を体現した中丸の顔は、筆者の脳裏に深く刻み込まれたのだった。
中丸の東宝入社は1955年。ニューフェイス試験を受けたのは『青い山脈』の池部良にあこがれてのこと。二年ほどBホーム(大部屋)に属し、端役に甘んじていた中丸に役らしい役が与えられるようになったのは、57年の『象』(山本嘉次郎監督)あたりから。同年末の『地球防衛軍』では自衛隊員役として、その姿を確認できる。
その後、四作ほど刑事役が続いた中丸が一躍注目を浴びたのは、自ら「デビュー作と言えるような作品」と表する『私は貝になりたい』(59)。悟りきった表情で処刑に臨む<戦犯死刑囚役>を演じ、試写を見た原節子から大いに褒められた中丸が、〈悪の道〉に活路を見出したのが同年10月公開の『独立愚連隊』だった。
岡本喜八念願の企画だったこの戦争活劇にあって、中丸は陸軍内部で不正を働く悪の副官・藤岡中尉に扮し、強烈な存在感を示す。この副官の謀略で、城壁から突き落とされた部隊長の三船敏郎は頭を打って正気を失ってしまうのだから、中丸にとってこれは実にオイシイ役であった。
以降、冷徹・ニヒルな敵(かたき)役として東宝のスクリーンには欠かせぬ存在となった中丸。60年には『電送人間』の他にも、岡本喜八『暗黒街の対決』で暴力団員、鈴木英夫監督『非情都市』で殺し屋、やはり岡本監督の『大学の山賊たち』でギャング、谷口千吉監督のアクション『男対男』でも殺し屋、シリーズ二作目となる『独立愚連隊西へ』では八路軍のスパイといった具合に、次々と悪役をこなしていく。
61年に入っても中丸は、1月に加山雄三主演の『暗黒街の弾痕』、2月に福田純監督によるノワール『情無用の罠』で悪者を演じたかと思えば、翌週公開の恩地日出夫初監督作『若い狼』から古澤憲吾のアクションもの『青い夜霧の挑戦状』(3月)、続く岡本喜八監督作『顔役暁に死す』(4月)、そして宝塚映画『断崖の決闘』(6月)まで、四作続けてヤクザの幹部に扮する。『私は貝になりたい』の静かな好演はいったい何だったのか、と言いたくなるほどの〈悪役〉オンパレードだが、実際、60年代初頭の中丸忠雄からはそれだけのニヒルさ、冷酷さがひしひしと伝わってくる。












