先述のとおり、三船敏郎が六丁目に新婚家庭を持った1950年当時は、すぐ北側の成城七丁目に志村喬が居住。風呂も志村邸で入れさせてもらう、という非常に親密な間柄にあった。その志村は、ご夫人同士が宝塚歌劇団以来の付き合いを続ける俳優・岸井明邸(成城二丁目:33年、笑いの王国からP.C.L.入社)をしばしば訪れていたという。『七人の侍』では勘兵衛の女房役・七郎次を演じた加東大介も、西側の成城八丁目に居住していたので、‶七人の侍〟のうち四人までもが成城の住人だったことになる。
当の黒澤監督の終の棲家となったのは、加東邸のすぐ西側のマンション(四丁目)の一室。ここは本多猪四郎邸のすぐ傍で、二人して野川沿いにあったゴルフ練習場に通った話もよく知られる。
ちなみに、志村喬は成城内での引っ越しを経験しており、のちに千秋実邸からも程近い四丁目の住人となる。千秋邸の斜め前に住んだのが、日活の人気スター・石原裕次郎(一丁目から転居)。『黒部の太陽』(68年)を共同で製作するにあたっては、三船が石原邸を訪れたり、石原もまた三船邸に飲みに行ったり、を繰り返していたのであろう。
三船邸のすぐ西方には、第1期東宝ニューフェイスの同期・堀雄二が住み、やはり子息を成城学園に通わせていた。三船の長男・史郎氏も成城学園の中・高時代は、自宅が「チャイムが鳴ってからでも間に合う」(本人談)ほどの近場だったので、通学には最適な環境にあったことになる。
衆議院議員・相沢英之氏との結婚後、長らく稲垣浩監督邸の隣にお住いの司葉子さんも、結婚前は成城学園のすぐ近所にお住まいであった。大学正門近辺には、『スーパージャイアンツ』(新東宝)や〝赤いシリーズ〟(TBS/大映テレビ)などで成城ロケの経験が多かった宇津井健、悪役・政治家役で名を馳せた神田隆、のちに岡本喜八作品でその名を高めた高橋悦史が家を構え、時折その姿をお見かけしたものだ。
成城七丁目に目を移すと、砧から越してきた成瀬巳喜男邸があり、黒澤映画のスクリプター・野上照代の家もすぐ近くにあった。『影武者』で黒澤とひと悶着あった勝新太郎と中村玉緒も、野上とご近所の時代があったが、のちに三丁目に転居している。
この辺りでは、小説家・大岡昇平のことを書かないわけにはいかない。旧制成城高等学校出身者でもある大岡には、『武蔵野夫人』や『野火』など映画化された小説の他、『成城だより』という日記文学があり、この書には文学や映画などとともに、成城の街や店のことが多く取り上げられている。小説家では、『飢餓海峡』で有名な水上勉も長く成城(六丁目)住まいで、その跡地はいかにも成城らしい低層階マンションになっている。
成城八丁目には、三船プロダクションの社屋(トリッセンスタジオ)と江戸の町のオープンセットがあった。敷地の一部は、石原裕次郎がヨットを保管していた土地だったという。八丁目と最北端の九丁目に映画人は少なく、伊丹十三(註5)の父で大江健三郎の義父となる伊丹万作監督(37年に東宝移籍)、田崎潤と団令子、小説家・評論家の長部日出雄、現在でも俳優のZ・Iと「三船芸術学院」出身のT・Sらが住むにとどまる。元日活の宍戸錠も成城の駅前でよくお見かけしたが、家は隣町の上祖師谷にあった。
成城某所には渡瀬恒彦が大原麗子と結婚して住んだ家もあったようだが、残念ながら場所は不明。次号では、成城の南側に住んだ映画人をご紹介したい。
(この項続く)
(註1)『男はつらいよ』の主人公・車寅次郎の名が、斎藤監督に因んでいるのではないかと睨んだ筆者は、知人を通じて山田洋次監督に真偽を確認してみたことがある。すると、その答えは「寅さんの姓は、漫画の『轟先生』(秋吉馨作)の「轟」から車を二つ取って「車」とした。名前のほうは落語の‶熊さん〟とも考えたが、今ひとつピンとこないので、寅さんにした」という実に意外なもの。公式見解は示されておらず、果たしてその真相は?
(註2)青柳恵介氏は、成城学園で三船史郎さん、女優の紀比呂子(三条美紀の息女)と同学年。白洲正子と親交が深く、白洲次郎研究や骨董品研究で知られる。青柳邸で酔った黒澤が必ず口にしたという「三つの話」は、また別の機会に。
(註3)筆者は実際、ご家族から「白坂は本当に成城が好きなんですよ」と聞いたことがある。
(註4)加藤剛に、成城に家を持つよう勧めたのは、上祖師谷在住の高橋元太郎とのこと(本人談)。
(註5)伊丹十三こと池内岳彦(本名は義弘)の少年時代にその面倒を見たのが、かの野上照代であることは、映画好きなら知らぬ者とてない逸話であろう。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。大学は東宝撮影所に程近いS大を選択。卒業後はライフワークとして、東宝作品を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆、クレージー・ソングのバンドでの再現を中心に活動。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同/2022年1月刊)がある。