加えて、ストリップ・ショーに興奮した渡辺が車に轢かれそうになる〈歓楽街〉が、撮影所内にあったパーマネント・オープン「東宝銀座」で撮られたことにも驚かされる。その後、住宅展示場となり、現在ではマンションが建ってしまった当 ‶所内オープン〟では、クレージー映画『ニッポン無責任野郎』(62年)や『クレージー作戦 くたばれ!無責任』(63年)だけでなく、東宝現代劇における多くの銀座=繁華街シーンが撮影されているが、黒澤が使うとまるで違う歓楽街に早変わりするから不思議だ。黒澤映画では本作の他、『天国と地獄』(63年)で横浜の伊勢佐木町(犯人の山崎努と権藤役の三船敏郎が出会う)として登場。〈黒澤マジック〉の成せる業か、これもまったくセットには見えない。
さらに特筆すべきは、祖師ヶ谷商店街ロケの事実である。歓楽の限りを尽くしても、虚しさだけが残る渡辺は、翌朝、自宅への道をとぼとぼと歩く。役所を無断欠勤しての朝帰りである。そこに部下の小田切とよ(小田切みき)が現れる。玩具工場の仕事に就くため役所を辞めたいとよは、辞表に判をついてもらうため、わざわざ渡辺の家を訪ねてきたのだ。ただ、映画の画像からは、ロケ地が祖師ヶ谷であるという明確な証拠は見出せない。
筆者は自著『成城映画散歩』を出版するにあたり、東宝作品の画像を管理する部署「TOHOマーケティング」で、多くの成城ロケ作品の画像を見させていただいた。すると『生きる』のスチールには、フィルムでは見られない撮影現場の様子がたくさん写り込んでおり、上記のシーンはオープンセットではない本物の商店街、祖師ヶ谷大蔵駅から歩いて1分程の場所で撮影されたことが分かった(註2)。
判をもらった帰り道、とよの靴下に穴が開いていたことに気づいた渡辺が、靴下を買い与える「ねもと洋装店」や画面に写る「三河屋酒店」、「吉田ラジオ商会」、「くだもの清水(屋号は清水屋)」、「酒井油店」、「村田園(茶店)」などが、実際に祖師谷大蔵駅前商店街にあるお店だったことは、昭和30年代の〈親栄会商店街大売出し〉チラシ(下掲図表:註3)からも明らか。「三河屋」については、二人が歩く小径に停まっていた自転車にも、店名が書かれてあったほどのこだわりようを見せている。封切当時、こんなことに気づく観客は皆無だったに違いないが、こうした些細なことにこだわるのが黒澤組。ここに本編画像をお示しできないのが残念だが、スチールと集合写真には祖師ヶ谷大蔵駅が写り込むものもあり、黒澤明による意外な祖師谷ロケの事実(但し、街の名前は登場しない)が証明されたことには、大いに感謝せねばならない。
ちなみに、同所では左幸子主演の『若き日のあやまち』(52年:野村浩将監督/新東宝)や、小林桂樹が出た『天才詐欺師物語 狸の花道』(64年:山本嘉次郎監督/東宝)のロケも行われている。
(註1)H氏は、東宝撮影所で『生きる』、『七人の侍』、『椿三十郎』などの黒澤作品、巨匠・稲垣浩の数々の時代劇、それに東宝戦争映画のセットなどを建て込んだ大道具係。中でも白眉は、ご自身の経歴(中島飛行機に勤務)を生かした『太平洋の嵐』であろう。勝浦に造られた空母セットに載るゼロ戦など、まさにHさんしか造り得ない大道具であった。
(註2)ついでに分かったのが、真冬と見える当シーンを撮影したのが真夏であったこと。分厚いコートを着た志村喬の姿を見守るスタッフや野次馬は皆、半袖シャツ一枚の夏姿。そういえば黒澤監督は、「冬のシーンは夏に撮った方が、スタッフや俳優が工夫をする」みたいなことをおっしゃっていたような……。
(註3)このチラシでは「ニシキヤ菓子店」(ロケ現場の斜め前)の存在も確認できる。現在でも営業を続ける当人気菓子店の御主人は、テレビドラマ「ケーキ屋ケンちゃん」(72〜73年:TBS)の主人公・ケンイチ(宮脇康之)のモデルとなったことで知られる(実際のロケ地は、豪徳寺にあった菓子店「カムラ」)。そして、そもそもそのケンちゃんが初登場するドラマ「チャコねえちゃん」(67〜68年:同)に主演した四方晴美の母親は、誰あろう、本作のヒロイン・とよを演じた小田切みき(ドラマでも何度か母親役を務める)なのだ。これぞ、本作の祖師谷ロケがあってこその因縁話?
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。大学は東宝撮影所に程近いS大を選択。卒業後はライフワークとして、東宝作品を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆、クレージー・ソングのバンドでの再現を中心に活動。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同/2022年1月刊)がある。