本社の宣伝部長としての最大の仕事は、まず、宣伝のプロジェクトチームのメンバーを組むこと。宣伝プロデューサー、プロデューサー補佐、ポスターなどのアド担当、テレビ担当、紙媒体担当など、6、7人くらいのチームを組む。それを組んだら、部長の仕事はほぼ終わりだと言っていい。あとは製作委員会と社内の調整くらい。
私が本社の映画宣伝部長として一から関わった映画は『北の零年』である。ただ、宣伝部長というのは、宣伝にはほとんどタッチしない。製作委員会に出て宣伝費を確保すること、そして宣伝プロジェクトチームを作るのが主な仕事。宣伝プロデユーサーというチームリーダーがいるので、宣伝業務は任せっきりである。ただ、問題が発生したときのトラブル処理のため、各方面に頭を下げるのは私の出番である。担当者では埒が明かない。相手の事務所もそうだが、なんでも肩書がものを言う。そのための肩書でもある。この3つが主な仕事。
宣伝部長というのは捕鯨船の母船で、いくつもの船団が鯨を捕って戻ってくるのを、静かに見守って待っていればいい、と部下から言われたことがある。宣伝費は大体オーバーする。そのときは上司がなんとか処理してくれるだろうということで、宣伝費の増額を製作委員会で承認をもらって、稟議をあげてもらうというのが、かなりの大仕事だった。だが、一番大変な仕事はチームの編成だった。人間関係だから、それぞれに組みたい相手がいて、それを全部聞き届けていたら大変である。撮影開始までにチームを作らなければならないのだから。
正月映画として吹っ飛んだ『ホタル』は、結局2001年5月26日に公開された。宣伝の仕事で失敗したなと思ったのは、この『ホタル』のときである。宣伝の仕事というのは、いかにテレビの朝のワイドショーなどで紹介してもらうかがメインテーマになる。『ホタル』の完成披露のときだった。主演の高倉健が舞台挨拶で登壇する際には、通常は拍手で迎える。健さんは基本的に上映前は舞台挨拶をしない。上映後に館内が明るくなって、そこでたった今作品を観て感激している観客の大きな喝采の拍手の中、舞台に登場するのだが、このときは、タイトルにちなんで、ホタルの光よろしく、1200のペンライトで迎えることになった。拍手がまったくなく、客席にはホタルが飛び交っているだけ。観客はペンライトを振っているから、拍手ができない。シーンと静まり返ってしまって、なんとも、盛り上がりのない状況になってしまった。俳優は観客の拍手が欲しくて舞台に立つんだと、叱られた。
その数日後、映画の舞台となった鹿児島に健さんと共にキャンペーンに出かけた。1800人収容のスタジアムスタイルの会場で、私はそのとき舞台の袖にいた。客席は満席である。上映が終わって、いよいよ高倉健の登場。そうすると、怒涛のというか、割れんばかりの拍手が、波が押し寄せるように会場内に轟いた。今でもはっきりと覚えているが、そのとき健さんが「震えるんだよね」と、私の顔を見てニヤッと笑って言った。そのときに、「宣伝というのはこういうことなんだよ」と言われたような気がした。もちろん、健さんが宣伝の云々について実際口に出して言ったりはしないが、瞬間、私は、そう言われたような感じがしたのだ。小手先の宣伝をするなよ、奇を衒ったような宣伝をするなよ、と言われたような気がしたのだ。高倉健との私の忘れられない想い出であり、宣伝とは何たるかを実感させられた瞬間だった。
次回は社長の仕事のあれこれについて話をしましょう。