次に、千歳船橋で撮られた映画をご紹介しよう。駅の南側には桜丘という高台が広がり、今でも農地の多い地区である。
緩やかな坂になっている畑が見られるのが、シリーズ第四作の『社長三代記』(58年:松林宗恵監督)。本作では、森繁社長の渡米中に社長代理を命じられた加東大介の家が当地に設定されていて、加東は娘(団令子)の恋人(太刀川洋一)に、肥溜めから汲んだ肥料を畑に撒くよう命じる。
江利チエミが主人公を演じる『サザエさんの結婚』(59年:青柳信雄監督)や『サザエさんの脱線奥様』(同)では、サザエとマスオが当地に出現。画面には『社長三代記』と同じ光景が広がる。『サザエさんの脱線奥様』では、主題歌と呼ぶべき「ビビディ・バビディ・ブー」が当地の農道にて歌われるほか、ほぼ同じ場所で松林監督が『こんにちは赤ちゃん』(64年)のロケを実施するなど、当地の地主と東宝の密接な関係が窺える。
『駅前』シリーズは、森繁・伴淳・フランキーのトリオによる群像喜劇。東京映画の製作だけあって、最寄り駅の千歳船橋駅前がしばしばロケ地となった。
『喜劇 駅前飯店』(62年:久松静児監督)では、駅の西側に位置する石井酒店前から、次郎さん(フランキー堺)の運転する車が飯店のある百合ヶ丘に向けて出動。『喜劇 駅前音頭』(64年:佐伯幸三監督)では、南海ストアと寿司清(森繁が実際に通った寿司店)前、『喜劇 駅前金融』(65年:同)では踏切横の八百屋(金貸しの孫作=伴淳三郎が集金に来る)と烏山川沿いのアパート(トランぺッターの次郎さんが住む)、『喜劇 駅前学園』(67年:井上和男監督)では踏切前にあった文具店「青山堂」や南口の和菓子店「東宮」などで撮影が敢行。やはり東京映画製作の『俺の空だぜ!若大将』で雄一が立ち退き交渉に訪れる銭湯(主人は伴淳)シーンは、当商店街にあった船橋湯でロケされている。
『喜劇 駅前医院』(65年)のラストシーンが撮られた小田急線沿いの道(千歳船橋・経堂間)では、『クレージーだよ 天下無敵』(67年:坪島孝監督)の植木等と谷啓の通勤シーンが撮影されている。同作で植木と谷が住むアパート「関ケ原荘」は、経堂中村橋の横手に建つアパートがロケ地となる。
谷啓が「プンプン野郎」を歌って、仕事の憂さを晴らすのは烏山川沿いの道。暗渠化され、緑道となってしまった現在、撮影の模様を想像することは容易ではない。烏山川と小田急線が交錯する辺りにあった公園では、『御用聞き物語』(57年:丸林久信監督)の小林桂樹がライバル御用聞きたちと諍いを起こすシーンが撮影。線路南側の風景は、成瀬巳喜男監督の『夫婦』(53年)で見ることができる。谷啓がらみでは、『ニッポン無責任野郎』(62年:古澤憲吾監督)で浦辺粂子の母と暮らす家(植木等が下宿する)が、経堂五丁目の城山通り沿いの住宅を使って撮影されている。
(註1)日大商学部西通用門前にあった喫茶店には、『青春の蹉跌』(74年:神代辰巳監督)でショーケンが度々顔を見せる。
高田 雅彦(たかだ まさひこ)
1955年1月、山形市生まれ。生家が東宝映画封切館の株主だったことから、幼少時より東宝作品に親しむ。黒澤映画、クレージー映画、特撮作品には特に熱中。三船敏郎と植木等、ゴジラが三大アイドルとなる。東宝撮影所が近いという理由で選んだ成城大卒業後は、成城学園に勤務。ライフワークとして、東宝を中心とした日本映画研究を続ける。現在は、成城近辺の「ロケ地巡りツアー」講師や映画講座、映画文筆を中心に活動、クレージー・ソングの再現に注力するバンドマンでもある。著書に『成城映画散歩』(白桃書房)、『三船敏郎、この10本』(同)、『七人の侍 ロケ地の謎を探る』(アルファベータブックス)、近著として『今だから! 植木等』(同2022年1月刊)がある。